44歳の僕がステージ4の大腸がんと診断されて

2016年大腸がん発覚。手術後、腹膜への転移が確認されステージⅣだと告知される。その後半年間に及ぶベクティビックス抗がん剤治療を受ける。2018年12月がん再発。アバスチン抗がん剤治療を受ける。48歳になりました。

セカンドオピニオンで新薬の治験とがんゲノム医療について聞いてみた

治験の可能性は?九州がんセンターでセカンドオピニオンを受ける

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この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2019年の7月上旬に書いたメモをまとめています。新薬の治験のエントリーを目的としたセカンドオピニオンを九州がんセンターで受けることにしました。

福岡市にある九州がんセンターへ

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2019年7月。

先月のCT検査で体内のがんが増大傾向にあるという結果になり、がんが再発してから行っていた二つ目の抗がん剤治療であるアバスチン抗がん剤+(FOLFIRI療法)も効果がないという評価になってしまった。

このことでひどく落ち込んだが、病診連携室のマエザワさんと新たな治療方法を相談することで少しだけ希望が見えてきた。

今回向かう九州がんセンターでの治験はそのマエザワさんが提案してくれたもので、九州がんセンターでのセカンドオピニオンを受けるために必要な資料送付や問い合わせなどの段取りも病診連携室ですべてやっていただいた。

セカンドオピニオン外来ではなく初診として診察を受けることもできるが、それだと拠点となる病院を移動することになり面倒なことになるので、こういった場合、通常はセカンドオピニオン外来での受診が一般的らしい。

九州がんセンターまでは車で2時間弱の距離。

あらかじめネットで下調べしておいたので、特に迷うことなく着くことができた。

九州がんセンターは大きくてきれいな施設だ。

受付であらかじめ郵送で送られてきた「予約票」を出して受付をすませ、問診表にこれまでの病歴などを書いていく。

そしてしばらく待ってから今回担当してくださるエザキ先生(仮名)の診察室に呼ばれた。

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セカンドオピニオン外来を受診する

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エザキ先生にはアマキ先生からの紹介状や僕の病状のデータは届いていると思うが、最初は僕のこれまでの経緯を簡単に説明した。その後にエザキ先生は自分の考えを述べられた。概要をまとめると

  • エザキ先生もアマキ先生と同様に標準治療で推奨されているベクティビックス抗がん剤+(FOLFOX4療法)に賛成
  • 大腸がん手術後2年間再発がみられなかったということはベクティビックスは十分効果があった考える
  • ベクティビックス抗がん剤の副作用として皮疹(皮膚トラブル)がひどいようだったが、皮疹がよく出る人ほど薬が効きやすいとも言われている
  • ベクティビックスやアバスチンと同じような抗体医薬品でアービタックスというものがあり、そちらのほうが比較的副作用として皮疹(皮膚トラブル)が出にくいのでそちらも検討してみてはどうか

との意見だった。

そして僕の要望としては今回セカンドオピニオン外来を受診した動機としては、担当医や今治療を受けている病院に不信感があるわけでもなく、標準治療とは別の可能性として新薬の治験に参加してその可能性にかけてみたいことと、2019年6月から保険適用になったとニュースで聞いた「がんゲノム検査」を受けてみたいという2点であることを伝えた。

「じゃあがんゲノム検査についても少しお話ししましょうか」

と言ってエザキ先生は話を続けた。

保険適用になったがんゲノム検査の実態と厳しい現実

「僕も詳しくは知らないんですが、先日ニュースで2019年6月から『がんゲノム検査』としてNCCオンコパネルとファウンデーションワンというものが保険適用になると聞いたんですが…」

という僕の問いにエザキ先生は

「確かにニュースではそう報じられましたが、まだ実際のところ全国の各病院と国立がん研究センターや検査会社でのデータのやりとり等の連携が十分されてない状況です。今いっしょうけんめい準備してるんですが、今のところ国内で保険適用で運用されている病院はどこにも無いというのが現状です

「え、そうなんですか」

「ええ、実際に保険適用で運営されるにはあと2~3ヵ月先になりますね。(2019年7月現在)ですので今の段階でその検査をやろうとすると全額自費になりますのでかなりの費用がかかってしまいます」

「そうだったんですね…」

そしてさらに先生は説明を続けた。

「がんゲノム医療では遺伝子異常を調べて異常が見つかれば、それに対応した薬を使用する。というものなんですが、仮に遺伝子異常が見つかってもそれに効果が期待できる薬があるとは限らないんです」

「ただ単に遺伝子異常が見つかるだけで終わる場合もある。ということですか?」

「はい。そしてがんゲノム検査で遺伝子異常が見つかる人は検査を受けたかた全体の10%ほどだと言われています。そしてその10%の中の一部の人が治験の対象になる。もしくは未承認の薬を自費で使用する。という場合もあります」

うーん、がんゲノム検査で遺伝子異常が見つかるのは検査したひと全体の10%くらいで、そしてさらにそのなかの一部の人が治験の対象になるのか…治験へのエントリーはかなりきびしいものになりそうだ。

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先生は加えて、

「そして仮に治験の対象になって新しい治療ができるとしたら効果は期待できますが、まだどれくらいの効果があるか不明ですし、どのような副作用が出てくるかはまだ未知数なところもありますので、完全に安全性が確立されたというわけでもないんです」

それでも可能性が少しでもあるなら試してみたい。そう思った僕は先生に質問した。

「こういったがんゲノム検査などをしないで『ただ治験に参加する』という方法はないんですか?」

「今、大腸がんの患者さん対象で、どのようなかたでも参加できるという治験はうちではちょっとやっていないですね…」

とのことだった。

血液を採血して遺伝子異常を調べる研究、リキッドバイオプシー

「ただですね、うちはがんセンターなんですが、全国のがんセンター系列の病院で消化器がんの研究をやってるグループが血液の中の遺伝子異常を調べるリキッドバイオプシー(GOZILA試験)という研究をやってまして、それはうちでもやっています」

「リキッドバイオプシーですか?」

「はい、この研究では血液の中のがんからこぼれ落ちる遺伝子を調べて、それに遺伝子異常があれば治験の対象になる場合もありますし、将来その遺伝子異常に対応した薬が開発されるかもしれません。なのでもし希望されるのであれば採血を今の段階でやっておいて、リキッドバイオプシーの研究に参加されるということも可能です」

「そのリキッドバイオプシーは保険適用なんですか?」

「いえ、保険適用ではありませんが『研究』ですので、それに関する費用は研究費として国が負担してくれますから特に費用が発生することはありません」

このリキッドバイオプシーの検査でも遺伝子異常が見つかる可能性は低いそうだが、なんにせよ治療の選択肢や可能性が少しでも広がるならチャレンジしない手はないし、特別高額な費用が掛かるということもなければなおさらだ。

「ではそのリキッドバイオプシーの検査を受けようと思ったら具体的にどのように行動したらいいですか?」

「今日はセカンドオピニオン外来なので出来ないですが、後日改めて普通の受診として来ていただいて採血をしていただきます。その後2週間くらいで結果はでると思いますので、それまで待っていただくことになります」

「分かりました。僕としては数パーセントでも治療の可能性や選択肢が広がるならチャレンジしていきたいと思いますので、ぜひリキッドバイオプシーの検査を受けてみたいです」

「そうですね、可能性としては低いですが、もし治験の対象になったときはある程度体力がないとその研究に参加できないことがあります。見た感じ今のところまだ元気でいらっしゃるようなのでいいと思いますよ」

というわけで来週はエザキ先生が学会に出席される都合で時間が取れないが、再来週に採血と診察を受けにまたこの九州がんセンターにくることになった。

「それともう一つ気がかりなことがあって、僕が最後のアバスチン抗がん剤の投薬が終わったのが6月の半ばくらいなんですが、それ以降抗がん剤治療はしてないんです。なので待っているあいだは他の抗がん剤治療をすべきなんでしょうか?」

「もし治験に参加する場合は抗がん剤治療から2週間から1ヵ月くらい期間をあけてもらう必要があります。加えて送られてきたデータを見る限りでは急にがんが猛スピードで増大しそうだということもなさそうなので、様子をみてもいいと思いますよ」

「分かりました。ありがとうございます」

「では担当医の先生宛に今からお手紙を書きますので、それをお渡ししてこちらで検査を受けることをお伝えください。15分ほどで出来ますからちょっとお待ちくださいね」

こうして九州がんセンターでのセカンドオピニオンは終わった。

手紙を受け取ったあとは会計を済ませて帰るだけなので会計窓口へ。

自費診療で計21.600円なり。

「うっ…高い…」と、一瞬思ったけど、逆に考えれば普段は保険でカバーされているので費用は高額にならずにすんでいる。もし社会保険がなければ診察だけで毎回これくらいの費用がかかるということか…

あらためて「皆保険制度ばんざい、日本の医療制度ばんざい」と思うと同時に「怪我も病気もせず保険をまったく使わないですごされている国民のみなさんありがとうございます使わせてもらってます」と思うのだった。

今回のセカンドオピニオンで治療の方向性が見えてきた

今回初めてセカンドオピニオン外来を受診してみた。時間にして45分くらいは医師と面談していたと思う。

印象としては九州がんセンターのエザキ先生も基本的には標準治療の方に賛成というスタンスだと感じた。ただ、僕としては標準治療だけだといずれ抗がん剤も効かなくなって手詰まりになるという恐れがある。だから今のうちにいろんな可能性を模索したいと思い、新薬の治験もそのひとつだった。

そしてリキッドバイオプシーという検査を受けることで治療の方向性がハッキリしてきたように思う。

僕の中での優先順位としてはこの九州がんセンターでの治験を第一に考えているので、大きく分けて4つの選択肢ができたと思う。

  • リキッドバイオプシーの検査で現段階で治験を受けられるかどうかがはっきりする
  • 治験を受けられなければ他の治療法を探す
  • 最初の予定通りベクティビックス抗がん剤の投薬を受ける
  • 治療自体をやめる

少なくともリキッドバイオプシーの検査結果が出れば九州がんセンターでの治験が受けられるかどうかははっきりする。もし治験がダメなら他の治療法を探すということにシフトしていけばいい。とにかくいろんなところにあたってみて、可能性を模索していきたいと思っている。

ヘタな鉄砲なんだから数を撃たないことにはかすりもしない。

ステージⅣの大腸がんと診断されて3年以上たち、48歳になった

ステージⅣの大腸がんと診断されて3年以上たち、48歳の誕生日を迎えることができた

この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2019年の7月上旬に書いたメモをまとめています。2016年の6月、44歳のときにステージⅣの大腸がんと告知されたときは「もう長くは生きられない」と思ったものですが、48歳の誕生日を迎えることができした。

大腸がんと診断されて3年以上が経過した

2019年7月。今日で48歳になった。

振り返れば44歳の時、2016年の5月に大腸のS状結腸部分に癌が見つかり、6月に行った外科手術で病巣は全部摘出したが、お腹を開けた時点で腹膜への転移が確認されてステージⅣの大腸がんと診断される。

手術後はベクティビックス抗がん剤+(FOLFOX4療法)を12クール(約半年)行い、その後のPET-CT検査で癌の痕跡は見られなかったのでいったん治療は終了した。

だが、2年後の2018年の12月に経過観察のCT検査でがんの再発が確認され、アバスチン抗がん剤+(FOLFIRI療法)を9クール行うも、2019年6月のCT検査でがんが増大傾向にあるという結果になり、アバスチン抗がん剤の投薬は中止されることになって今にいたる。

44歳でがんと診断されてからまるっと3年以上は生きたことになる。

大腸がんの進行度ステージ4の場合だと余命は半年くらいだといわれていたので、良く生きたほうなのだろうか。

大腸がんと診断されて以降、つらかったこととは?

これまで何がつらかったか?と問われれば、やはり抗がん剤治療にともなう副作用はつらかった。

これまで2種類の抗がん剤治療を合計21クールやったけど、それぞれに違ったつらさがあった。

最初に行ったベクティビックス抗がん剤+(FOLFOX4療法)の副作用は身体が重く感じる倦怠感がつらく、身体の中心や各臓器に鉛の重りがつるされているようだった。

味覚や嗅覚も変になり、食べ物の味は一部を除いて感じなくなり、お米を炊いたときの匂いで吐きそうになったりした。そして肌荒れや指先のひび割れなど肌トラブルもひどかった。常に「薬に焼かれている」という感覚が身体中にまとわりついていた。

次に行ったアバスチン抗がん剤+(FOLFIRI療法)の副作用はひどい吐き気と下痢に悩まされた。アバスチン抗がん剤の投薬1日目からベクティビックス抗がん剤の8クール目くらいのつらさがあったので早々に治療を断念しようかと思ったほどだったが、つらさのピークは投薬開始から5日目くらいまででそのあとは持ち直すことが多かったし、味覚嗅覚にも変化はなかったのでその点は楽だった。

「がん=死」というイメージ

そして自らの生と死を見つめ続けた日々でもあった。

僕はがんと診断されるまでは「死というものは自分とは無関係だ」という錯覚というか幻想のなかで生きていた。「人は遅かれ早かれかならず死を迎えるもの」ということは頭では理解しつつも、その現象は自分にとってはもっともっと先の遠い未来に起こるものだと思っていた。

だが、がんと診断されて自らに訪れる「死という現象」が突然目の前に現れたような気がした。これまでは地平線のかなた遠く、目を凝らさなければ見えなかった「死」というものが、突然手を伸ばせば触れられるほどの距離に現れたような気がした。

このことは僕をおおいに混乱させ、日々その恐怖に焼かれ、怯え続けた。

しかし、その恐怖にも波があって、月の満ち欠けや潮の満ち引きのように、ひどく落ち込んだりするときもあれば、気分が持ち直すときもあるということも分かった。なので気持ちが落ち込んでつらいときは「今は気持ちの波としては下落しているが、一晩眠れば少しは持ち直すだろう」という風に考えるようにしている。実際に恐怖や悲しみの感情が心の中心にずっとい続けることも、またむずかしいことだと思う。

癌患者になって気づいたこと

がんと診断されてからというもの、このようにつらいことも多かったが、そのおかげで気づかされたこともたくさんあった。

日々一日一日を大切に生きようと思った。

他の人に腹をたてることなく、過度に期待することもせず、人のありのままを受け入れようと思った。

潤いを知るためには渇きを知らなければならない。喜びを感じるためには苦しみを知る必要があることを知った。

父や母、兄弟、友人その他すべての人に感謝することを学んだ。

あたりまえに過ごせている日常こそが奇跡的にすばらしいものであるということを知った。

その他にもいろいろなことを「癌という病」は僕に気づかせてくれた。これまでの人生をこれまで通りに生きていれば気づくことは難しいことばかりだった。

がんは僕にとって青天の霹靂であり、人生を根本から変える劇薬でもあった。

これからどれくらい生きられるのかは分からないけど

48歳になったからといって特に嬉しいということはないが、ひとつの節目を迎えられたと思っている。(それよりも令和になった瞬間のほうが嬉しかった)

そして今の現状としては決して安心できる状況でもない。癌が再発してから9クール続けていたアバスチン抗がん剤治療も効果が見られないということで打ち切られることになった。

この先使える薬が減っていき、僕の体内のがんが増大し続けていけば、やがてこの命は尽きていくだろう。

 「来年の今頃も、元気でいられるだろうか?」

44歳でがんと診断されてから、僕はこの問いかけをいつも自分自身にしてきた。

47歳になったときもした。

とりあえず48歳になった今は抗がん剤の副作用のつらさは残るものの、元気で生きている。

まだ自分の足で立って歩けるし、普通に呼吸もできるし、ご飯も普通に食べれて普通に排便もできている。

普通でいられるということが、とてもありがたいことだと日々感じている。

「来年の今頃も、元気でいられるだろうか?」

この問いかけは誰にでも当てはまることだ。がんと診断されていなくても他の病気だったり突然の事故でふいに亡くなる人はたくさんいる。

「昨日まであんなに元気だったのに…」そう思われながらある日突然この世を去る人はたくさんいる。

そんな人たちは「死の直前まで自らの死に怯えなくていい」という点では幸運だったのかもしれないし、自らの死を見据えたうえで深く人生を考える機会を得ることができなかったとも言えるのかもしれない。どちらが正しいということもないと思う。

誰にだって「死」はその傍らにある。

それがいつ現れるかどうかは誰にも分からない。

分からないからこそ、今を精いっぱい生きていくべきではないかと思う。

来年の今頃も元気でいるためにも。

 

【48歳。もうアラフィフ】f:id:yo_kmr:20190806112337j:plain

がん相談支援センター主催の癌患者さんが集まるサロンに参加してみた

がん相談支援センター主催の癌患者さんが集まるサロンに参加してみた

この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2019年の7月上旬に書いたメモをまとめています。いつも入院していた総合病院で病診連携室のマエザワさん(仮名)と相談するようになって、今後の治療に希望が少し出てきました。今回はそのマエザワさんに教えてもらったサロンに参加したときのことを書いています。

何度もこの病院で入退院を繰り返していたが、患者会の存在に気づかなかった

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2019年7月。

病診連携室のマエザワさんと新たな治療方針を相談するようになって、絶望に包まれていた僕の心に一筋の光明が見いだせたような気がしている。

そして今日はそのマエザワさんから教えてもらった、癌患者さんやそのご家族が集まっての懇談会に参加することしている。

そのサロンはいつも入院している総合病院の2階会議室で毎月行われているようなのだが、僕はこのサロンのことを全く知らなかった。

癌と診断されて激しく落ち込み動揺した時は「患者会のようなものに参加して他の癌患者さんの意見を聞きたい」と思っていたものだが、結局調べ方が悪かったせいか手近なところで見つからないと思ったままになっていた。

この病院にはそれこそ抗がん剤の投薬でいままで何十回と入院しているのに、その存在を知らなかったとはまさに「灯台もと暗し」だ。

それにいつも入院するときに書くアンケートで「ソーシャルワーカーからの相談を希望しますか?」という項目にも最初の方は「はい」の方にチェックを入れてたが、何度入退院を重ねても病院側からなんのアクションもないのでいつしか「いいえ」の方にチェックを入れるようなっていた。

病棟の看護師さんも忙しいだろうから、なかなかその点での連携はできてないことがあるのかな?とも思った。

なんにせよもう少し注意深く調べていればもっと早くこのサロンのことが分かっていたかもしれないし、病棟の看護師さんにちょっとたずねるだけでもすぐに分かったことだろう。そもそも僕の調べ方が悪かったのだ。

癌患者さんやそのご家族が集まって交流や情報交換するサロンとはどういうものなのか

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こういったサロンは大きな病院では常設されている「がん相談支援センター」でわりとどこでもやっているらしく、今回僕が参加したサロンでは事前に予約や参加申し込みは必要なかったし、特に料金がかかることもなかった。さらにこの病院に入院してたり治療してなかったりしてなくてはダメということもないようだった。

参加してみての雰囲気としてはお茶を飲みながら癌患者さんやそのご家族の体験談を聞くといった感じだった。

参加者は年配の女性が多くその内訳としては

  • 今現在も入院治療中で点滴をしながら参加されている人
  • 治療はいったん終わった人
  • 癌を克服した人
  • 癌患者の家族のかた

など、だいたい20人くらいの人が参加していた。

そしてここでも病診連携室のマエザワさんが中心になっていて、開始時間になると進行をすすめていた。

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「では時間になりましたので、そろそろ始めたいと思います。みなさん癌になったということで、落ち込んだりもするでしょうけど、他の患者さんの話を聞くことで元気になったとか、継続してここにくることで治療の励みになるということもありますので、いろんな人の話を聞いて何かひとつでも得るものがあればいいなと思います」

マエザワさんのあいさつの後、いくつかの注意事項をみんなで復唱することに

  • 癌患者、がん患者の家族、もと患者が参加します。それ以外の参加があったときは世話人で話し合って決めます
  • ここで聞いたプライバシー情報はここだけにとどめて他では話さないようにしましょう
  • 健康食品や健康器具などの販売を勧めたりする場所ではありません
  • 宗教団体への勧誘、啓蒙をする場所ではありません
  • 他の人が受けている治療が自分にあうとは限らないので医師に相談しましょう
  • 参加されてるかたが平等に話せるようにお互い気を配りましょう
  • アドバイスや励ましを受けると、ときに負担になることもあります。お互いに聞き上手になりましょう

これらのことを聞くと、なんとなく過去にこのようなトラブルがあったのかなと邪推する。

その後マエザワさんが

「しゃべりたくないという人もいらっしゃると思いますので、そんなかたは話を聞くだけでもいいと思います。それでは簡単に自己紹介から始めましょうか」

と言って、それぞれ簡単な自己紹介をして、そのあとに話したい人がそれぞれ自分の体験談を話していくという流れだった。

癌患者が集うサロンで聞いた話とは

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プライバシー情報に関わることなので詳しくは書けないが、みんなそれぞれいろんな状況のなか「がんとどう向き合っていくか」ということに苦心されているようだった。

がんとひとくくりで言ってもいろんな部位や進行のしかた、手術可能かそうでないのか。さまざまなケースがあるということがあらためて分かった。

まだ治療中で身体がつらいなか参加されていたり、自分のなかで癌と診断されたことにまだ整理がついておらず、みんなの話を聞きながらずっと泣いている人もいた。

かと思えば、身体の数か所に癌ができて、余命は一ヵ月と告知されたがん患者だったが、治療の後に今はがんを克服されて元気に過ごされているという人もいたし、今は治療を終えて元気でいるが再発が心配だ、というかたもいた。

ネガティブなことを聞けば「ああ、つらいのは僕だけじゃないんだな」と思えるし、

ポジティブなことを聞けば「僕もよくなる可能性はきっとある!」と励みになる。

どちらにしても精神的にプラスになったことは間違いないと思う。

さまざまな癌患者さんの体験談を聞いて感じたこと

今回感じたことは、いろんな人の体験談を聞くことで「自分だけじゃないんだな」という気持ちが湧いてきた。

今この病院の小さな会議室に集まっている人たちは癌患者か元癌患者の人たちで占められている。治療中のひとや治療を終えたひと、がん患者の家族の方々がほとんどだ。

それまで癌患者というものは孤独なものだと思っていた。この世界で自分ひとりだけがつらいんじゃないかと思っていた。

周囲の見知った人間に癌患者はおらず、同じ立場で気持ちを共有できる人はいなかった。

風邪や虫歯のように簡単に治るものでもないし、やはり「がん=死」というイメージは強い。

でも、癌になったからといって、こめかみを拳銃で撃ち抜かれたようにただちに死んでしまうというわけではない。治療中でもこうしてしっかり存在されているし、がんを克服した人もこうして確かに存在していた。

特に「がんを克服した人」なんてこれまでテレビのドキュメンタリーとか本で読んだりとかでしか知らなかったので実際に会ってみて「あ、がんを克服した人ってやっぱり実在するんだ」ということをあらためて感じた。

 

苦しいことは皆で分かち合い、治療の後に元気になった人の話を聞くと希望が湧いてくる。 

僕たちはひとりじゃない。今もこの世界中のどこかで癌と向き合いながら日々を生活している人たちが確実に存在している。

それはとても心強いことだと思った。

「医師に全部おまかせ」の患者ではなく自分で決める患者になりたい

「医師に全部おまかせ」の患者ではなく自分で決める患者になりたい

この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2019年の7月上旬に書いたメモをまとめています。がんが再発してから二つ目の抗がん剤も効果がないとの評価を受け、落ち込んでいましたが病診連携室のマエザワさんに相談して新たな治療法を模索していくことになりました。

効果を期待していた抗がん剤が効かなくなったことはショックだった 

2019年7月。

振り返れば2018年の12月にがんの再発が確認されてアバスチン抗がん剤+(FOLFIRI療法)をやりながら生活習慣の改善や食生活の改善をしてきたが、それらもむなしく6月に受けたCT検査ではがんはわずかではあるが増大傾向にあるとの結果がでて、アバスチン抗がん剤の投薬は9クール目を最後に中止することになった。

効果が期待できる薬から試しているうえに、標準治療で推奨されている抗がん剤はあと2種類くらいだという。

担当の医師からは2年前に大腸がんの手術後にやったベクティビックス抗がん剤+(FOLFOX4療法)をもう一度試してみましょうとのことだったが、その抗がん剤をやった2年後にがんが再発しているので効果のほどは疑わしいというのが僕の正直な印象だった。

だんだん手の打ちようがなくなっていく、自分の生きる可能性が狭まっていくような気がして今までになく落ち込んだ。

しかし、いろんな人の助けを借り、相談にのってもらった今では新薬の治験や別の治療方法の可能性にかけてみたいと思うようになった。

入院予定日の3日目前に担当の医師あてに手紙を書いて直接病院に届け、前もって自分の気持ちを伝えていたことで別の病院の紹介や、その分野に詳しい同じ院内の病診連携室のマエザワさんを紹介してもらって相談することができた。そのことは僕にとってとても心強く、今後の治療の励みになった。

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自分で決めて行動する自立した患者でありたい 

もし何も行動しなければ、今頃は予定通り入院してベクティビックス抗がん剤の投薬を受けていたことだろう。

でもそれが普通なのかもしれない。医師の言う事を素直に聞いて治療を受ける。これが世間一般的な患者のあり方だと思う。

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でも今回の件で分かったけど、病院に勤める医師たちは国から認可された公的医療の範囲内での標準治療を勧めてきて、患者側としてはその治療方法がすべてであると思い込んでしまう。

たしかに標準治療の方が国から認可を受けた中での最高水準の治療方法であり、安全性も認められているうえ、治療費等も保険適用内で賄えるのでいろんな面でリスクが少ない。

でもすべての患者が同様のことを望んでいるわけではないと思う。

経済面の問題でやむなく保険適用内の治療しか受けられない場合もあるが、がん保険などに加入しているので、経済的なリスクは考えずに治る可能性の高い治療方法にどんどん挑戦していきたい患者さんもまたいると思う。

医師や病院のスタッフの方で患者の経済面の状況などを詳しくヒアリングするわけではないし、日々たくさんの患者さんの対応に追われていれば通り一辺倒の対応になってしまうのは致し方ないことでもあると思う。

自立の反対は依存。自立した患者なのか依存した患者なのか

ではどうすればいいのか?

今回の件で痛感した事は患者自身が「自立した患者」であるべきだと思った。

「自立した患者」とはどういうことなのか。

そもそも「自立」の反対はなにか?と問われれば、いろんな答えがあると思うけど僕は「依存」だと思う。

「先生にすべてお任せします」というように、過度に医師や病院のスタッフに依存するのではなく、患者自身が自分自身で選択すると言う気持ちを持ち続けることが大事なのではないかと思うようになった。

もちろん医学的な知識が乏しい一般的な患者が医師の言うことを無視して独断的に判断するということではなく、医師に疑問点を問いかけ、アドバイスをもらったうえで判断していくということ。

医師や看護師たち病院側のスタッフは患者に対して協力的である

よっぽど偏屈で意地悪な医師にあたらなければ、医師は患者に対して協力的だと思う。

医師や看護師、薬剤師など病院側のスタッフが持つ知識や経験、技術は自分が病気になるまで医療現場に携わることがなかった一般的な患者にとってみれば、とてもじゃないけど手の届くものではない。

そして彼らはその技術を知恵を出し惜しみしたりはしない。(そうじゃない人もいるかもしれないが)

患者が問いかければその疑問に答えてくれるし、もしくは答えを導き出そうと努力をしてくれる。

ただ、医師や病院のスタッフも1人の人間なので無理難題を言われれば困ることもあるだろう。

でも僕たちは歩み寄っていける協力しあっていける。

医師や病院のスタッフから必要な情報を聞き出してアドバイスをもらい、最終的に判断し決断するのは患者自身であるべきだと思う。そういう意味で僕は「自立した患者」でありたいと思っている。

人に決めてもらったり判断してもらった方が楽ではあるが…

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「決断すること」や「決めること」は勇気がいることかもしれない。

「自分の判断が間違っていないのか?」

「これが正解なのか最善なのか?」

「失敗ではないのか?」

そのような葛藤に悩まされるのは自然なことだと思う。

「すべてお医者さんにお任せします」と言う姿勢でも構わないと思うけど、後になってから「こんな方法があったなんて知らなかった」と後悔するのは自分であり、僕はそういう風にはなりたくないと思った。

そもそも「医師に何を聞いたらいいのかすら分からない」ということもあると思うので、自分で勉強することも大事だし、疑問点は何かということを常に意識し続けることも大事だと思う。

がんという病気は人生において難病であり難敵であり難解な問題だ。

それに立ち向かうためには数多くの味方が必要だと思う。

今回さまざまな人に相談できたことで僕にはたくさんの味方がいたんだ。と改めて思うことができた。

そう思える事はとても励みになるし幸せなことだと思う。

 

そうさ、僕には味方がいる。まだやれる。

胸をはれ。

目を見開いてしっかりと前を見ろ。

歯を食いしばれ。

奥歯ギリギリいわせたってやってやるんだから。

病診連携室のマエザワさんに相談した翌日、さっそく連絡がくる

病診連携室のマエザワさんに相談した翌日、さっそく連絡がくる

この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2019年の7月上旬に書いたメモをまとめています。癌が再発したあとのアバスチン抗がん剤(+FOLFIRI療法)を9クールやりましたが直近のCT検査では効果が無いという評価になりました。新たな治療法を模索するために新薬の治験などについて病診連携室のマエザワさん(仮名)に相談した翌日のことです。

病診連携室のマエザワさん(仮名)に相談した翌日のこと

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2019年7月。

本来であれば昨日からベクティビックス抗がん剤の投薬のために3日間ほど入院することになっていたが、別の治療法も試したいという僕の考えを医師に伝えると、いくつかの病院を教えてくれて、さらに同じ病院内にある病診連携室のマエザワさん(仮名)というかたと直接話をすることできた。

マエザワさんは一見事務のおばちゃんのように見えたが、実は看護師長として働いていた経歴をもち、定年退職後は医長からの要請で病診連携室勤務になり患者さんの相談にのっているという実務経験豊富なかただった。

昨日はマエザワさんにいろいろな施設を紹介してもらって、とりあえずは

  • 九州がんセンターの治験
  • 鹿児島にある陽子線治療
  • 戸畑共立病院の抗がん剤と組み合わせた温熱療法

の3つからあたってみることにした。

僕が「では具体的にどう行動すればよいですか?」と尋ねると、マエザワさんの方で各医療機関への紹介と情報の伝達や資料送付をしてくれることになり、何か進展があれば僕の携帯に連絡しれくれるというところで昨日の話は終わった。マエザワさんと話ができたことで少し希望が湧いてきた。

そんなことがあった翌日の今日は、気分的にも少し楽になったこともあり、体調もいいような気がする。やはり気の持ちようだったのだろうか。

セカンドオピニオン外来で医師の問診を受ける理由

そして午前中にマエザワさんから僕の携帯に連絡があった。

マエザワさんはさっそく行動を起こして九州がんセンターに問い合わせてくれたらしく、治験を受ける前には医師の問診が必要であることと、その問診はセカンドオピニオン扱いになり保険適用にならずに自由診療(実費)になるけどそれで構わないですか?という確認だった。

セカンドオピニオン扱いにせず、初診扱いとして九州がんセンターで新たに治療を再開するということであれば保険適用になるが、それだと拠点とする病院を移動することになるので、またこちらの病院に戻るのに面倒なことになるかもしれない。との事だった。

九州がんセンターで問診や検査を受けても治験の対象にならない可能性は十分考えられる。治験が受けられないならわざわざ自宅から100㎞以上離れた九州がんセンターまで通うことはない。

僕としては基本的には自宅からほど近い総合病院で治療を受けたいと思っているし、担当医のアマキ先生との信頼関係も大事にしていかないといけないと思っている。フットワークは軽く、選択肢が多いほうがいいと思うので、セカンドオピニオン扱いで構わないという考えをマエザワさんに伝えた。

「それでは紹介状の手配とかこちらでやっておきますね」

と、一連の段取りは病診連携室でやってもらえることになった。

今の担当医に不信感があるわけでもなく、不安からただやみくもにセカンドオピニオンを受けても仕方ないと思っていたので、セカンドオピニオンについては考えていなかったが、治験を受けることができるかどうかの問診や検査のため必要であるなら受けなくてはならない。

鹿児島の陽子線治療にも問い合わせくれていた

そしてマエザワさんは鹿児島の陽子線治療についても問い合わせてもらったようで、結果から言うと陽子線治療は僕のように腹膜播種があると粒子が曲がったりするので、ちょっと難しいと言う回答だった。とのことだった。

可能性のひとつが減った事は少しショックだったが、もし陽子線治療をするのであれば、治療のために1ヵ月間くらい鹿児島の指宿に滞在しなくてはならないと思っていたので、まぁ善し悪しなのかなとも思う。

九州がんセンターからも連絡がくる

その後しばらくしてから今度は九州がんセンターの事務の方から携帯に直接連絡があった。

セカンドオピニオンについての問い合わせがあったので、少し説明させて下さいとの事だった。たぶんマエザワさんから手配があったのだろう。

その事務の方からの説明をまとめると

  • 今治療を受けている病院から資料が届き次第面談する医師のスケジュール調整に入る
  • 届いた資料の内容(患者の容体について)によっては事前に面談をお断りする場合もあるのでご了承下さいとのこと
  • セカンドオピニオン扱いなので保険適用にはならず、全額自己負担になり、費用は保険適用外で医師の面談1時間に対し21.600円で30分を超過するごとに5.000円の超過料金がかかる
  • 当日持参する書類等は特に必要なく、「予約表」というものだけが必要らしいのだが、それはまた日程の調整がついてから郵送で送るかファックスで送るか連絡します

とのことだった。

そして医師の日程の調整がつき次第またご連絡しますとのことだった。

病院から連絡がくるのは数日先だと思っていた

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大きな病院の事務方の仕事は面倒な手続きなどでやたら時間がかかると思い込んでいたけど、今回思いのほかレスポンスが早かったのでびっくりした。

加えて今日は金曜日なので、もしマエザワさんに相談するのが1日ずれていたら週をまたいでさらに遅れていた可能性もある。

話が早くて助かるし、着実に前進して行っている気がしてうれしくなる。病診連携室のマエザワさんはとにかく頼りになるたのもしい味方だ。

新たな治療法をもとめて右往左往、四苦八苦したのちに結局のところ一番最初の治療方針であるベクティビックス抗がん剤の投薬という結果になるかもしれないが、できることがあるかぎりは、よりよい選択肢が見つかりそうなかぎりはその可能性に向かって行動していきたい。

まだ元気が残っている今のうちに。

病診連携室のマエザワさんはすごい経歴のプロフェッショナルだった

病診連携室のマエザワさん(仮名)はすごい経歴をもつプロフェッショナルだった

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この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2019年の7月上旬に書いたメモをまとめています。本来なら抗がん剤治療を開始する予定でしたが新たな治療法を探すために入院を延期し、病診連携室のマエザワさん(仮名)というかたと相談することにしました。

抗がん剤治療を延期して病診連携室のマエザワさんに相談することに

2019年7月。

当初の予定では今日から抗がん剤治療のために3日間入院する予定だったが、別の医療方法も探してみたいということを医師に申し出て、とりあえず入院は延期になった。そして担当医のアマキ先生から病診相談室のマエザワさんというかたが他の医療施設について詳しいということを聞いて直接お話を伺うことに。

診察室を出て、看護師さんに案内されて病診連携室というセクションの面談室へ向かう。

病診連携室とは

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この病院には何度も入院してるので、この病診連携室の前は何度も通りがかったことはあるが、中に入るのは今回が初めて。ここでは地域の医療機関(かかりつけ医)からの紹介を受け付けたり、逆にこの病院での治療がひと段落した患者さんをかかりつけ医に戻したり、セカンドオピニオンの受診の調整や転院の調整をしている部署で、大きな病院なら常設されている「がん相談支援センター」や「医療相談室」や「在宅ケア科」も併設されている。

ざっくりまとめて言うと患者と病院とのパイプ役みたいな感じなのかな。

面談室でちょっとだけ待っているとマエザワさん(仮名)がやってきた。

マエザワさんの僕の第一印象として見た感じ60代前半くらいのやさしそうなおばちゃんで、普段は事務をされてるかたわらたまにソーシャルワーカーやカウンセラーとして患者さんの話を聞いているのかな?という印象を受けた。

マエザワさんと机を挟んで向かい合わせに座り、僕はこれまでの経緯を簡単に説明した。2016年に大腸癌だと診断されて、現在に至るまでのことを。

マエザワさんはメモをとりながら僕の話を親身になって聞いてくれた。

看護師長として働いていた経歴をもつマエザワさん

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そして僕の希望としてはまだ体力があるうちに新薬の治験など、他の治療法をためしてみてその可能性にかけてみたい。ということを伝えると、マエザワさんはさまざまな施設を提案してくれた。

「ここからなら九州がんセンターがいいですよ。治験もたくさん持ってるし、それから戸畑共立病院の温熱療法、久留米大学のワクチン療法、鹿児島に陽子線治療の施設もあります」

と、矢継ぎ早に様々な施設を教えてくれるマエザワさんは明らかにこの分野では担当医のアマキ先生よりも豊富な知識をもっているようにみえた。

聞けばマエザワさんはただの事務のおばちゃんではなくて、以前はこの病院で看護師長として働いていたらしく、定年退職後は医長からの要請で病診連携室勤務になり、がん患者さんたちの相談にのっているらしい。

マエザワさんは実に実務経験豊富なプロフェッショナルだった。

ただの事務のおばちゃんと思っててごめんなさい。

それならばと思い、僕は自分の考えを率直にマエザワさんに告げた。

「僕は所詮がん患者としては3年くらいの経験しかない初心者のようなものです。最終的に判断して決めるのは自分自身ですが、プロの意見、現場で肌感覚で医療と接してこられた方々の意見は参考にさせていただきたいです。ですので、マエザワさんの思うところで構いませんので優先順位を3つつけるとしたらどれから始めたらいいと思いますか?」

僕のこの問いにマエザワさんは

「それでしたらまずは九州がんセンターの治験に問い合わせましょう。条件が合うかどうかは分からないですし、治験は時間もかかりますしね。それと同時進行で陽子線治療も問い合わせたらどうでしょう。戸畑共立病院の温熱療法は抗がん剤との組み合わせで治療に入りますから、まずはこのふたつを試したあとでどうでしょうかね?」

「ありがとうございます。それでは実際にその3か所からあたっていくとして、具体的にはどう行動したらいいでしょうか?」

「じゃあ私のほうで資料を取り寄せます。それの経費が2千円くらいかかりますけどいいですか?それと九州がんセンターの診察はセカンドオピニオンになると思うので、その場合診察料が実費になるので高くなるんですよ。2万円くらいかかるかな…」

「いえ、それくらいかまいませんのでお願いします」

「じゃあ、すぐに取りかかりますね」

「よろしくお願いいたします」

自分でもびっくりするくらいとんとん拍子に話が進んだ。もしマエザワさんに相談することなく帰っていれば、自宅からネットで調べて各病院に問い合わせてからまたこの病院に戻ってきて…とかなり回り道になっていたはずだ。

患者会のサロンがこの病院の会議室で月イチで行われていることも教えてもらう

「いやあ、今日このタイミングでお話できてよかったです」

「そうですね!1日遅れると週またいでさらに遅れることもありますからね」

そしてマエザワさんは月に一度行われている「がんの患者さんたちの懇談会」のようなサロンがこの病院内で行われていることも教えてくれた。

「ほかの患者さんたちの話を聞いてみるのはいいと思いますよ」と。

「僕もこういった患者会みたいなものがないものかと常々思っていたところです。ぜひ参加してみたいと思います」

そうこうしているうちにあっという間に11時が過ぎ、予定の面談の時間をオーバーしていた。

マエザワさんは

「じゃぁ、アマキ先生にちょっと話通しておきますね」

と言ってそのままアマキ先生の診察室に向かっていった。すごく行動が早くて見ていて頼もしい。最短距離を一直線で進んでいっている感じだ。

何かアマキ先生と話をして診察室から出てきたマエザワさんは

「じゃぁ、何か進展がありましたら携帯に連絡しますね」

と言って忙しそうにしてその場をあとにしていった。

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医師あてに手紙を書くなど、事前に行動を起こしておいてよかった

その後は会計を済ませて自宅に戻り、母に今日の経緯を大まかに説明すると

「よかったね、なんだか一縷の望みが出てきたみたいだね」

と、半分涙混じりに喜んでくれた。

今回の件で病診連携室のマエザワさんに相談できた事は僕にとってとても心強く、今後の治療の励みになった。二つ目の抗がん剤も効果がなくなって、どんどん狭められてきたと感じていた選択肢の幅が、少し広がったようにも思えた。

あらかじめ行動を起こして担当医のアマキ先生宛に手紙を書いておいてよかった。

今日の今日で話を進めようとしていたら後手後手に回っていたかもしれないし、何もしなければこのまま予定通りベクティビックス抗がん剤の投薬を受けていたことだろう。

あれこれ手を尽くしても、結局のところ最初の予定にしたがってベクティビックス抗がん剤を受けることになるかもしれないが、選択肢を増やすことはいいことだと思うし、それだけ希望の数が増えるということでもあるのだと思っている。

 

やれることがあるうちはそれに向かって行動していこうと思う。

自身の可能性を広げるためにも。

抗がん剤治療はひとまず中止することにした

抗がん剤治療はひとまず中止することにした

この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2019年の7月上旬に書いたメモをまとめています。前回まで行っていたアバスチン抗がん剤+(FOLFIRI療法)が効果がないということになり、以前もやったベクティビックス抗がん剤+(FOLFOX4療法)をまた試してみるという予定でしたが、新たな治療法を模索するため時間が欲しいと思うようになりました。

今日から抗がん剤治療で3日間入院する予定だけど…

2019年7月。

今日はベクティビックス抗がん剤の投薬のため3日間いつもの総合病院に入院する予定だが、僕の本音としては今日は入院せずにひとまず帰りたいと思っている。

これまでの経緯として、2018年の暮れに癌の再発が見つかってからは、アバスチン抗がん剤+(FOLFIRI療法)を約半年以上9クールやってきたが、先日行った経過観察でのCT検査で癌が増大傾向にあるということでアバスチン抗がん剤は効果がないという評価になった。そして担当医と話し合った結果、次の手として2年前にやっていたベクティビックス抗がん剤+(FOLFOX4療法)をまた試してみようとうことになっていた。

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CT検査で癌が増大傾向にあるということは僕にとってとてもショックが大きかった。

アバスチン抗がん剤が効いていないということもその要因のひとつだが、これまで取り組んできた食生活の改善や生活習慣の改善が、がん抑制に役立っていないのではないか?ということが、僕の気持ちをさらに落ち込ませた。

「今までやってきたことは無駄だったのか?」

「がんに対して何の効果もなかったのか?」

「この程度の努力ではがんには効果が無いのか?」

そのような考えが頭の中をぐるぐると回り続け、ネガティブなスパイラルに陥っていた。

そんな中で今現在広島で医師をやっている従兄に電話してみて、いろいろと意見を聞いてみたところ「新薬の治験に参加してみてはどうか」というアドバイスをもらった。

www.44cancer.com

治験についてはこれまで全く知らなかったわけではなかったが、自分の中のイメージから、「安全性が確保されてないのでは?」とか「人体実験のようなものなのでは?」というような先入観があって、いまいち行動には踏み切れなかった。

従兄と電話で話しているうちに、デメリットとして思いもよらない副作用が出たりすることもあるかもしれないが、医療技術は日々進歩しているので、もしかしたら最新の医療がいち早く受けられるかもしれないというメリットもある。というふうに考えるようになり、治験の可能性に賭けてみたいと思った。

3日前に担当医あてに手紙を書いて直接外科外来の窓口に届けておいた

そして「担当のドクターあてに手紙を開くといいよ」というアドバイスをもらったので、担当医のアマキ先生宛てに「治験にエントリーしたいのでその分野に詳しい医師を紹介して欲しい」という旨の手紙を3日前に書いてすでに病院に直接届けておいた。

www.44cancer.com

先生がその手紙を読んでくれてなんらかのアクションを起こしてくれるか、もしくはアクションを起こしてくれないなら独自で調べてみたいので、どっちにしろ今日は「もう1週間抗がん剤開始するまでの猶予が欲しい」と言うつもりだ。

そして今、一応入院の準備はして病院に到着し、血液検査の採血も終わって問診に呼ばれるのを待っている。

割と緊張している。

治験のエントリーの条件は難しいので「そんなものは無いですよ」と一刀両断されるかもしれない。

安全性についてもリスクが無いわけでもない。

でも、手を尽くしたい。

手を尽くした上で選択をしていきたい。

生きるためならなんだってやってやる。

手紙を読んでくれていた医師は紹介状を書いたことがある病院を教えてくれた

しばらく待っていると問診に呼ばれた。

診察室に入り担当医のアマキ先生の前に座ると先生は血液検査の結果を出して

「血液検査の結果では特に注意すべき問題点もありませんので、ベクティビックス抗がん剤の投薬を始めましょう」

と言ってきた。

(あれ先生手紙読んでないのかな?)と一瞬だけ思ったが、その直後に

「それで手紙を読みましたけど、僕がこれまで紹介状を書いた病院であればいくつかありますので」

ということで、いくつかの病院名を挙げてもらった。

手紙を読んでもらったということが分かってホッとした。やはり無駄ではなかった。

続けて先生は、

「僕もあまり詳しいほうではないので、『病診連携室のマエザワさん(仮名)』に聞いた部分もあるんですけど」と付け加えた。

マエザワさんって誰だろう?病院同士の横のつながりに強い人がいたりするのかな?という考えが一瞬でてきたがそれはひとまずおいといて、今の僕の考えを先生に伝えることにした。

他の治療方法も試してみたいという考えを医師に伝える

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「そうですか、ありがとうございます。僕の考えとしては今のところ自力で立って歩いて行動できるくらいまだ体力がありますので、今のうちに治験などの可能性にかけてみたいんです」

「はい」

「標準治療も全てやり終わってがんが進行し、抗がん剤の副作用で体力がなくなってボロボロになってからでは遅いんじゃないかなと感じましたので、今のうちにできることをやっておきたいんです」

「我々医師側の基本的な考えとしては標準治療の方をおすすめしますけどね」

「もちろん最終的には先生と相談して決めたいと思ってます。それにもし別の病院で治療受けることになれば先生に紹介状を書いてもらわないといけないのでその時はお願いします」

僕がそう言うと先生は

「そういうことであれば、できることがあれば協力しますよ」

とおっしゃってくれた。そして

「それで本来なら今日は入院する予定でしたけど、さきほど先生から教えてもらった病院をあたってみたいので、次の抗がん剤投薬まであと1週間ほど猶予をいただきたいと思ってるんですが…」

「それでしたらこちらは別に構わないですよ。じゃぁ1週間後にもう一回来られますか?」

「そうしていただけると助かります。それで実際に今日先生から教えてもらった病院に行ってみて紹介状を書いてもらう必要がある場合はどうしたらいいですか?」

「その時は電話していただければ紹介状書きますよ」

「電話だけでいいんですか?」

「ええ、大丈夫です」

「そうですかありがとうございます。それで先ほど言われていた『病診連携室のマエザワさん』というかたに直接お話をお伺いすることはできますか?」

「大丈夫だと思いますよ」

そういうと先生はそのマエザワさんに連絡するように看護師さんに指示を出した。

いったん診察室を出た看護師さんが戻ってきて

「マエザワさん、11時までなら時間取れるそうです」と先生に告げた。

「じゃあ、すぐ行ったほうがいいですね。紹介状など必要な時は書きますから言ってください」

「ありがとうございました、それともうひとつ、気になってたことがあって、おとといなんですがタンの中に小さな血が混じってて、それ一度きりなんですけど、一応報告しとこうと思いまして…」

「う~ん、おそらくアバスチンの影響ではないかと思います。副作用で出血することが結構ありますのでね。血液検査の数値で気になるところはないですし、様子をみてください」

「分かりました。ありがとうございました」

痰に混じっていた血はほんの小さな点のようなものだったが、そんなものでも血を見ると恐ろしいと思っていたのでひとまずは安心した。

病診連携室のマエザワさんから直接話を聞くことに

アマキ先生の問診はこれでひとまずは終わった。念のため入院の準備はしてきたものの今日は抗がん剤治療をしないで帰ることになった。

そしてその『マエザワさん』から直接話を聞くために、看護師さんの案内で同じ病院内にある「病診連携室」に向かった。

マエザワさんってどんな人なんだろう?患者さんの悩みを聞くソーシャルワーカーのような人なのか、営業職のようなもので他の病院とのコネクションをたくさん持っている人なのか…男性なのか女性なのか…ベテランか新人か…

そんなことをぼんやり考えながら案内してくれる看護師さんの後ろをついていった。