44歳の僕がステージ4の大腸がんと診断されて

2016年大腸がん発覚。手術後、腹膜への転移が確認されステージⅣだと告知される。その後半年間に及ぶベクティビックス抗がん剤治療を受ける。2018年12月がん再発。アバスチン抗がん剤治療を受ける。48歳になりました。

級友たちとの再会。急逝した同級生の葬儀告別式に出席する。【がん闘病記85】

この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2016年の10月中旬ごろに書いたメモをまとめています。

前回

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高校の同級生たちとの再会

ムラハシ(仮名)の通夜式の会場である自宅から出ると、家の外ではかつての同級生たちとの再会があった。

高校を卒業してからほぼ会っていなかったので、実に25年ぶり以上になる。

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懐かしさに話も弾む。

そしてその時に僕の病気である癌についてもみんなに告白した。

通夜式に出席する前にもしもかつての同級生たちに再開出来たら、僕の病気である癌のことを話そうかどうか迷ったけど結局話すことにした。

話そうと決意させたのはヤスイ(仮名)のことがあったから。

ヤスイ(仮名)のこと

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ヤスイとはムラハシと同じくかつての高校のときの同級生であったが、近年彼がすでに自ら命を絶って他界していることを知った。

その話を聞いた後、僕はヤスイのことばかり考えた。

ずーっとヤスイのことばかり何度も何度も考えた。

しかし、いくら考えても考えても理解も共感も、ほんの少しの同情すらできなかった。

まったく分からない、何もかも分からない。なぜなら僕はこれまでの人生で「自ら命を絶つ」ということを選択肢のひとつとして考えたことは無かったし、砂粒ほどもそんな考えを起こしたことも無かった。

 

でも、もしもヤスイが自ら命を絶つことを考えていたときに、僕と生きているうちに会えることができたなら何か言って欲しかった。

僕がそこまで追い詰められているヤスイの力になれるなんて、思い上がりも甚だしいとは思う。

力になれるなんてとうてい思えないけど、何か一言でもいいからその胸の内にある何かを、苦しみの源泉となっている何かを、言って欲しかった。

これは生者、生きて残されている者の勝手な「欲」だってことは分かっている。分かってはいるけど何か言って欲しかった、打ち明けて欲しかった。

ヤスイのことを考え続けたけど、何もできなかった悔しさだけがうじうじと煮詰まった頭の中に燃えカスのように残っただけだった。

友人たちの言葉が染みる 

そしてこの先、僕に万が一のことがあったときに後で知らされた友達たちが

「なんであの時言ってくれなかったんだ」

って思うかもしれない。

そんことは全く思わないかもしれないけれど、ヤスイのことを思うと言っておかなくてはならないという気持ちになっていた。

癌のこと、ステージ4の大腸がんであること。

そして今、抗がん剤治療を受けていることありのままをみんなに告げた。

僕の話を告げられた友人たちは皆それぞれおどろき、動揺もしていたようだったけど、僕の気持ちを分かってくれて、いたわりや励ましの言葉をそれぞれかけてくれた。

「大丈夫?」

「なんとかなるよ」

「つらいだろうけど頑張ってよ」

「今はほら医療技術も進歩してるから」

 

うれしかった。

 

その言葉一つ一つが胸に染み、響いた。

なかでも高校のころ、特に仲の良かった同級生のカミヤマ(仮名)が言ってくれた言葉が心に残っている。

「癌が君の死因になるかもしれないけれど、俺にしてみれば大好きだった順番に友達が死んでいくのはとても悲しいよ」

カミヤマはヤスイともムラハシとも特に仲が良かった。

僕もカミヤマが大好きだった。

彼が覚えているかどうか知らないけど高校三年のある秋の日、彼がふと言ってくれた言葉を今でも覚えている。

 

「俺、お前と友達になれて本当によかったと思ってるんだ」

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彼にとってはなんてこと無い言葉なのかもしれない。

きっと言ったことすらすっかり忘れているだろう。

でもその言葉は僕の人生の中で「言われてうれしかった言葉ベストファイブ」に入っているから!

とても大切な友達。

そんな彼らと再会でき、悲しみと喜びが一緒に舞い込んだ一日となった。

そういうと少し不謹慎かな?

 

葬儀告別式に行く

7クール目の抗がん剤投薬後から9日経過

今日は午後から先日急逝した同級生ムラハシの葬儀告別式に行ってきた。

昨晩の通夜式とは違い、葬儀告別式に出席するのは近しい親族や友人だけのようだ。

厳かに式はすすみ最後のお別れに棺の中に花をたむけ、出棺することになる。

僕も花をもらってご遺体の足元の方にそっと花を置かせてもらった。

ちらりとご遺体の顔を見た後、きびすをかえしその場を去ろうと2~3ほ歩きかけたが、また戻ってもう一度ムラハシの顔を見た。

もうこの身体には魂が無い、ただの肉塊、脱ぎ捨てられた衣服のような気がしてたまらない気持ちがこみあげてくる。

そしていよいよ出棺となると参列者みんなが表に出て見送る。

僕は少し離れた場所で見守ることにした。

親族の男性たちが棺を担いで自宅から出てくる。

シンプルな葬儀用の車に棺が入れられる。

いよいよお別れだ。

出ていく車とご遺族を乗せたバスを見送ってからその場を後にした。

父の葬儀の時に決めた生き方

僕は今年の初めに父の葬儀を経験してからこういう機会があればなるべく通夜も葬儀も出席しようと心に決めていた。

世間体とか義理を果たすとか、そういうことはもうどうでもいい。

ただ残されたご遺族の悲しみに少しでも寄り添うことができるならそれでいいと思う。

父の葬儀の時に通夜にも翌日の葬式にもご参列いただいた方々にはとても感謝している。

通夜か葬儀かどちらか出れば義理は果たされるだろうに、そんなことは関係なく忙しい身の上で時間を割いていただいたことが、どれほど遺族にとって励みに癒しになったことか。

確実に僕たち残された家族の悲しみに寄り添っていただいたと確信している。

僕もそういう生き方をしていこうとそのときに決めた。

今回のムラハシの葬儀でご遺族に慰めの言葉ひとつかけることが出来はしなかったけど、その悲しみにそっと寄り添うことで少しでも悲しみが癒されればと願うばかりだ。

言葉は要らない

ムラハシの出棺のとき、目に一杯の涙をためたムラハシのお兄さんとふいに目が合ってお互いに軽く会釈をした。

そのときにお兄さんから「今日も来てくれてありがとう」と心の中で言われた気がした。いや確かに言われたのだと思う。

言葉は要らない。

ただそこにいるだけでそのどうしようもない悲しみにそっと寄り添うことはできると僕は信じている。