長かった休薬期間も終わり、明日から化学療法の後半戦が始まる【がん闘病記75】
この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2016年の10月上旬ごろに書いたメモをまとめています。
6クール目の抗がん剤投薬後から17日経過
2016年10月。
前回の抗がん剤の投薬から17日経ち、程度としてはいくぶん軽くはなってきているものの相変わらず副作用のつらさはある。
それでも倦怠感はほとんど無くなったと思う。
現時点で自覚できる抗がん剤の副作用として残っているものは舌の痺れと冷たいものをもったときに感じる指先の痺れが少し。
そして抗がん剤の副作用からくる肌トラブルとしては指先の皮膚のひび割れと身体全体に湿疹が少し残っている。
身体の湿疹についてはもともと僕は体質的にアトピー性皮膚炎があったので抗がん剤のせいかどうかはちょっと定かではないところもある。
あと、抜け毛も相変わらずで結構なエグさで髪の毛が抜けて行っている。
でも薄くなってきているとはいえ完全に髪の毛が無くなってハゲるところまではいっていない。
完全にハゲてはいないとはいえ、僕の頭髪はもうスカスカだ。
自分の頭を触って髪の毛を手串でなでるときその抵抗感の少なさに愕然とする。
手のひらが頭皮にダイレクトに触れているようなたよりなさがある。
帽子はキライだった
頭髪の抜け毛がひどくなって薄毛がシャレにならないくらい進行してからというもの、僕はよく帽子をかぶるようになった。
そしていろんな帽子にも興味を持つようになった。
こんな状態になるまで僕は帽子に全く興味がなかったし、そもそもあまり帽子が好きではなかった。
理由は似合わないから。
そして髪の毛はたくさんあったので帽子をかぶる必要性を感じなかったし、夏場はムレるとか、そんな理由もあり帽子はあまりかぶりたくなかった。
ファッションのひとつだととらえることも無かった。似合わないから。
それと室内で帽子をかぶることがどうも理性的に嫌だしそもそもなんでかぶる必要があるのかと疑問にすら思う。
そしてこれはあくまで個人的な意見だけど帽子をかぶったまま食事をしている人を見るとイライラする。
不快に思う。
たぶん僕のおばあちゃんが生前そういうことについてうるさく言う人だったのでその影響なのかもしれない。
子供のころ弟が帽子をかぶったまま食事をしているとおばあちゃんは「脱帽!」といってよく叱っていた思い出がある。
このように帽子については何かと抵抗があった僕だけど薄毛がシャレにならなくなり何かと頭頂部が寒々しいので帽子をかぶるようになった。
普段帽子をかぶらないのでたまに会う人からは
「あれ?帽子なんて珍しいね」
何て言われるけど、そのたびに
「ハゲ隠しです(笑」
と答えている。
痩せて肌も浅黒くなり帽子までかぶっているとますます癌患者らしい見てくれになってきたなと自分でも感じる。
外出するときは必ず帽子をかぶるようにしているけど、屋内に長くいるようなときは必要性を感じないので帽子はあまりかぶらない。
でも最近では帽子をファッションの一部だととらえるようになってきて、帽子を基準に服を選んだりしている。
とはいえ色々な帽子をためしてはみたもののベレー帽とかハンチングとかキャップ系は似合わないようなので、もっぱらハット系とニット帽タイプを選ぶようにしている。
あんなに帽子嫌いだったのに変われば変わるもんだなと自分でも思う。
でも、今は帽子をかぶってごまかしているけどよっぽどハゲ散らかして来たら坊主にしてしまおう。
6クール目の抗がん剤投薬後から18日経過。休薬期間最終日
長かった休薬期間も今日で終わり、いよいよ明日になれば7クール目の抗がん剤治療が始まってしまう。
とはいえ現時点での体調は比較的いい方だ。
倦怠感はほとんど無いけど、その他の副作用が少しだけ残っている気がする。
残っている副作用としては指先のひび割れ、爪の端の腫れさかむけ、身体の湿疹などが相変わらずある。
6クール目の抗がん剤治療は投薬に3日休薬期間が18日と合わせて3週間の長丁場になった。
実際に経験してみて、抗がん剤の副作用は3週間程度では抜け切らないということが分かった。
しかし抜けきらないまでも副作用の程度としては軽くなったほうだと思う。
でも食欲も少しづつ出てきたおかげで62㎏くらいまで減っていた体重が64㎏くらいまで戻った。
おそらく今日が今年2016年で元気な身体でいられる最後の一日になるだろう。
7クール目が終われば済ませた回数と予定回数が逆転する
また明日からは残り半分。6回の苦しい抗がん剤治療が始まる。
でも折り返し地点を超えた次の7回目には意味があると思う。
7回目を終えると予定している抗がん剤治療の回数と、今までやってきた抗がん剤治療の回数が逆転する。
残された抗がん剤治療の予定数は5回と済ませた抗がん剤治療の回数は7回。
そしてされにその次からは数をこなすたびに予定数がどんどん減っていく、ゴールが見える。
これがどれだけ希望的に見えるかどうかは抗がん剤治療を経験してきた人ではないと分からないだろう。
毒を飲まされ続ける日々の終わりが見えてくる。
永く暗かったトンネルの先に小さな光が見えるようだ。
その光に向かって、苦しくても歩き続けようと思う。