44歳の僕がステージ4の大腸がんと診断されて

2016年大腸がん発覚。手術後、腹膜への転移が確認されステージⅣだと告知される。その後半年間に及ぶベクティビックス抗がん剤治療を受ける。2018年12月がん再発。アバスチン抗がん剤治療を受ける。48歳になりました。

10クール目の抗がん剤の投薬のため3日間入院する【がん闘病記99】

この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2016年の11月下旬に書いたメモをまとめています。

10クール目の抗がん剤投薬のため入院する(初日)

2016年11月。

朝、いつもの総合病院に到着して自動受付機に診察カードを通す。

長かった休薬期間を終えてまたここに帰ってきてしまった…

大きな病院っていうのは独特の空気感があって、中に入った瞬間から気のせいか気が重くなる。

いつもの手順で採血を終え、1時間以上待ってから診察室へ呼ばれる。

血液検査の結果、抗がん剤の投薬は問題なくできる数値で、腫瘍マーカーも安定してしているとのこと。

担当医のウエノ先生曰く、この腫瘍マーカーの数値は癌に対して絶対の信ぴょう性があるワケではないけど、ひとつの指針として参考にしてもらえれば、とのことだった。

もっともこの数値がどんどん上がってくるようであれば明らかに異常がある可能性は高くなる。

経過は良好

先生の問診を受けながらふいに先生のデスクのパソコンのモニターに目がいく。

おそらく僕のカルテであろうっぽいものが目の前のモニターに映し出されてて、その画面の備考欄のところに今までの治療内容の後に「経過は良好」の文字を見つけた。

うん、やっぱりこういったポジティブなことは嬉しい。

僕の経過は良好なんだ、やったぞ!良好だ!気分は良好だ!

無駄にはしゃいでもしょうがないけど、心の中で喜びをかみしめたのだった。

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11:30ごろようやく今回入院する病棟へ上がる。

今回もいつもの4人部屋の病室だが窓際のベッドだ。

窓際は開放感があっていい。

だが病室内には独特の匂いがあり、抗がん剤の副作用で嗅覚が敏感になってるせいもあってちょっと気が滅入る。

そしていつも通りに抗がん剤の投薬が始まった。 

10クール目の抗がん剤投薬での入院2日目

10クール目の抗がん剤投薬の2日目の朝だけど、意外に調子がいい気がする。

やはり前回の休薬期間が長かったおかげなのか、一昨日あたりから復活しだした食欲がまだ少し残ってるし、今のところまだ下痢や便秘などのお腹の調子も悪くなっていない。

でもおそらくは抗がん剤の投薬が終わって退院した次の日くらいから3~4日くらいは調子が悪くなるんだろうな…

とまあ、こうやって予想が出来るくらい抗がん剤治療にも慣れてきたってことだと思う。 

しかし、昼になるととたんに調子が悪いというか吐き気が襲ってきた。

長い休薬期間で体調が戻りつつあったのでその分落ちた時の落差が大きい。

大きい分、つらさも増すのだろう。

あーいやだいやだ。

 

病室でふと思うこと。ありがとうの所作

わがままで身勝手な僕はこれまで人に対して「ありがとう」って言うことがあまり好きじゃなかった。

子供の頃から「ありがとうって言いなさい」とよく怒られていたものだ。

一般的に

「感謝しないといけないよ」

とか、

「ここは『ありがとう』って言うべきとこだろ?」

というようなこの社会の常識というか社会通念というか、そういった見えない圧力とでも言うのだろうか、そういった「ノリ」に押されつつかれして僕は「ありがとう」って言葉を言っていたと思う。

僕個人の考え方だけど、「ありがとう」っていう言葉が出るタイミングは「差し出す者」から「受け取る者」へ、なんらかの力や物質的なものの推移があった時だと思っていた。

その取引の証しとして「ありがとう」という言葉がまるで約束手形のように発せられるのだと思っていた。

そもそも「しないといけないよ」とか「言うべきところだろ」なんて明らかに圧力がかかった言い方だと思う。

なんだか強要されている気がする。

もちろん僕にそういうことを言ってきた大人たちは社会生活を円満に送るために良かれと思って言っていた。ということも分かる。

でも、そんな強要感がまだ幼い僕の中で「ありがとう」に対する抵抗感をちょっとづつ生み出していったのかもしれない。

やはり本音のところでは他人から強要されたり命令されたりするの嫌いだ。

基本的に僕の性格が素直じゃなくてひねくれものだからということもあると思う。

狭量でケチな性格であると言ってもいい。

奥底から湧き出るもの 

これまで僕に親切にしてくれた人たち全員が全員、僕に対して「ありがとう」を求めてたわけではないだろうけど、一般常識や社会通念、「ここはありがとうって言っておいた方がいい人だと思われる」といったような観念から、僕は自分の本音はそっちのけで「ありがとう」って言葉を言っていたように思う。

もちろん人間関係を円滑に波風を立てないためにも。

でも僕自身の考えでは「ありがとう」って言葉、または「感謝の気持ち」は自分以外の他者や他の何かからうながされ、押されつつかれて出るべきではないと思ってる。

心の底から湧きあがってくるもの、まるで渇いてひび割れた大地から自然に湧き水が湧いてくるように出てくるものだと思っている。

だから他者(この場合、社会的通念や観念も含む)にうながされての感謝の言葉は好きじゃない。

子供頃、近所のおばさんにお菓子をもらった時に隣に居た母親から背中をドンっと押されて「ほら、ありがとうは?」って言われて出てくる「ありがとう」が嫌いだ。

 

気持ちや心は変えられないけど態度や所作は変えられる

しかし、どんな時でも誰に対しても感謝の気持ちを持ち続けることはとても大切なことだと思う。

でも心にもない感謝の言葉や態度はすぐに見透かされる。ばれてしまう。

表面上は上手く取り繕ったつもりでもボロは出ているもの。

人間は「感じ取る生き物」なのではっきりとは分からなくても心のどこかで違和感を感じたりするものだ。

ではどうすればいつも感謝の気持ちを持ち続けることができるのだろうか?

自分の気持ちや心に無理に働きかけてもあまり効果は無いと思う。

でも心や気持ちは変えられなくても「態度」や「所作」は変えることはなんとかできそうだ。

先ほども書いたけど気持ちと態度があまりにもかけ離れていればすぐに見透かされるけど、態度のほうから気持ちの方に寄り添っていけるんじゃないかな?というのが僕の個人的な考えだ。

やはり態度や所作が美しい人はその心根も美しいと思うから。

 

僕はいつでも心からのありがとうを言いたい。

誰に対してもどんな時でも。

そのためにも自分の態度や所作、立ち振る舞いには気をつけようと思う。

 

10クール目の抗がん剤投薬での入院最終日(3日目)

抗がん剤の投薬もとうとう10回目でそれもあと数時間で終わろうとしている。

体調はあまり良くなく、倦怠感もあり吐き気も少しあるから食欲もない。

でもこの抗がん剤の投薬が終われば予定では残すところあと2回だ。

そしてあと1回やれば残りは1回、ラストワンだ!

まだ最初のころ、抗がん剤治療を3回くらい受けた時、

「こんなつらいことがあと9回もあるのか…」なんて絶望的な気持ちになっていた頃の過去の僕へ、

やったよ!

ここまで来たよ!

残りはあと2回だよ!(予定ではだけど)

 

そして12回目が終わった未来の僕へ、もうすぐそっちへ行くからね!