他人事ではなかった独居老人の孤独死【がん闘病記100】
この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2016年の11月下旬に書いたメモをまとめています。
10クール目の抗がん剤投薬後の翌日
2016年11月。
今日の体調は今まで受けてきた抗がん剤治療の翌日と比べると幾分調子がいいように思える。
焼き芋にハマる
話は少しそれるが最近焼き芋にハマっていて、昨日も退院して帰宅したらすぐに焼き芋の準備に取り掛かった。
庭先で炭火で焼くとはいえ、多少煙が出るのでご近所さんには十分な配慮をしないといけない。
芋は自宅の家庭菜園で母さんが作ったサツマイモを使用。
それを今は亡き父が生前自作した特製のイモ釜を使って炭火で焼くのだ。
父さんは溶接が得意で会社で余った鉄くずなどを利用してこういったものをよく作っていた。
僕が父特製のイモ釜で芋を焼いていると母はなんだか嬉しそうにしていた。
「お父さんがねえ、こんなものよく作ってた当時は『じゃまくさいなあ』なんて思ってたけど、こうして今あんたの役に立ってると思うとなんだかお父さんが応援してくれてるみたいだねえ」
と母。
僕もそんな気がする。父さんに感謝だ。
抗がん剤の副作用で舌が痺れていても焼き芋の味は分かるみたいだ
前回までは炭を起こして焼いていたが放置しているとどうしても片面が焦げてしまうので今回から石焼き芋にしてみることにした。
近所の海岸まで行って手ごろな石をいくつか拾ってきて炭の上に石を並べてから焼くと焦げずにうまく焼ける。
抗がん剤の副作用で舌は痺れているが、なぜだか焼き芋の味は分かる。
味が分かるから美味いし、美味しいと思うのでよく食べられる。
個人差はあるかもしれないが、抗がん剤の副作用で舌が痺れていても加工された食品に比べて野菜や果物のなどの食材そのものの味は分かりやすい傾向にあると思う。
抗がん剤治療の退院した直後にしては昨日はよく食べたほうだ。
明日もまた石焼き芋にして食べよう。
これまでのパターンに比べれば楽な気がする
10クール目の抗がん剤投薬から2日経過
今日も比較的調子はいいほうだ。
いいほうとはいえ、あくまでも「抗がん剤投薬後の2日目の体調」にしてはって意味でキツさがないわけではない。
発疹や指先のひびわれなどの肌の疾患は相変わらずだけど、昨日までの便秘気味だった症状が少し解消された気がする。
おそらくこの後下痢気味になるのだろうけど、やはり総合的に見てもいつもの抗がん剤2日目とは違って少し楽な気がする。
とうとう薬に耐性がつき始めたのかな?
身近に迫っていた独居老人の孤独死
10クール目の抗がん剤投薬から3日経過
独居老人の孤独死。
たまにニュースなどで見かける言葉で今ではそんなに珍しくもないことだが、僕の身の回りでもそれは起ころうとしていた。
僕の叔父がまさに独居老人の孤独死の寸前だった。
叔父は僕の母の弟にあたる人で今現在は奥さんと離婚していて子供も無く、母と母の叔母にあたる大叔母以外にはほとんど身寄りがない。
叔父とは僕が子供のころから盆正月や親戚の集まりがあるときは決まって顔を合わせていた。
タカおじさんとはどんな人物なのか
叔父がどんな人かと言うと、大酒飲みで性格は荒っぽく普段からしゃべる声も大きいうえに見た目も怖いので他人からは恐れられることが多いが、内面的には気が弱く泣き上戸なのでよく酒を飲んではべそべそ泣いていた。
そして姉である僕の母と大叔母には絶対的に頭が上がらず、いつも二人からは怒られてばかりいた。
そんな叔父を僕たち甥や姪は「タカおじさん」と呼んで親しくし、タカおじさんも僕たちをかわいがってくれた。
そのタカおじさんがまさかあんなことになるなんて思ってもみなかった。
町内会費を払ってくれ
今日、タカおじさんから珍しく母に電話があった。
内容としては
「町内会費を払わないといけないけど、最近体調を崩して起き上がれなくて身動きが取れないから代わりに払ってきて欲しい。そしてついでに水を買ってきて欲しい」
とのことだった。
正直母からそのことを聞いて
「どういうこと?」
と疑問に思ったが、とりあえず母を連れて車で30分ほど離れたタカおじさんのところまで行ってみることに。
到着してドアを開けると、そこにはやせ衰えて布団の上に横たわるタカおじさんの姿があった。
聞くと、しばらく自力では起き上がれないくらい具合が悪い状態が続いていて布団から出ることもできず、おそらくここ数日は飲まず食わずだったらしい。
そんな状態になる前に電話して助けを求めればいいのに「町内会費」とかどうでもいい理由をつけることに少し腹が立った。
なんでこんなになるまで連絡してこなかったんだと。
救急車を呼ぶべきだと即座に判断する
タカおじさんの住んでる場所は市営住宅の4階でしかもエレベーターは無い。
そんな場所から抗がん剤の投薬を終えて数日のヘロヘロな僕と年老いた母との2人では自分で立つこともできないタカおじさんを抱えて病院まで連れていくことは無理だと即座に判断した。
「タカおじさん、もうどうしようもないよ。今から救急車呼ぶからね?いいね?」
「おま…。そんな大げさな…」
「いいね?!」
「う…、あ…ああ…」
タカおじさんは少し躊躇した様子だったが、その時の僕の少し怒気をはらんだ言葉にうなずくほかなかったようだった。
スグに救急に電話して救急車を呼ぶ。
救急車を待つ間にご近所の組合長さんのところへ行って町内会費の支払いも済ませておいた。
救急車が到着すると屈強な救急隊員たちが5人がかりでシートの上に乗せたタカおじさんを4階の部屋から慎重に運び出して救急車に乗せた。
え?5人がかりで運ぶものなのか…救急車を呼んで大正解だった。
とてもじゃないけど僕と母だけではどうしようもなかった。
なんとか入院の準備まで終える
こうして考えると日本の医療制度というものはホントにありがたいものだと思う。
世界中どこの国でも電話一本で救急車が駆けつけてくれる制度が整った国ばかりじゃないし、世界全体の割合からしたら少ないほうではないかと思う。
その後、救急搬送された病院に行き、入院に必要なものをコンビニやドラッグストアなどに買いに行ったりなんだりしてバタバタと入院の準備を終えてからタカおじさんと別れてとりあえず家に帰ってきた。
結局家についたのは午後10時を回っていた。
疲れた。
救急車を呼ぶことも初めての経験だったが、とにかく何とかなってよかった。
タカおじさんは買ってきた水を無心に飲んでいたのでホントに身動きが取れずに飲まず食わずだったのだろう。
僕の経験上、人間は空腹にはある程度耐えられても渇きには耐えられない。
多分ギリギリまで我慢していたんだと思う。
今回のことを考えるとまさに独居老人の孤独死寸前の出来事だった。
タカおじさんの携帯電話が手の届くところに置いてなかったら今頃どうなっていたことか…
ニュースで聞くような出来事が自分の身近なところで起こりそうになるとは思わなかったなあ。