元気な身体で47歳の誕生日を迎えることができた【がん闘病記140】
この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2018年の7月初旬に書いたメモをまとめています。
2018年の7月で47歳になることができました。
2018年の7月某日。初夏の日差しがまぶしい季節。
今日で無事47歳の誕生日を迎えることができた。
子供のころは誕生日が来るのが待ち遠しかったものだが、この歳になると自分の年齢すらはっきり覚えてなくて、
「あー今日誕生日かあ…あれ?今日でいくつになるんだっけかな?」
と、あまり意識していないので忘れがち。
僕と妹とで年齢差が11歳あるということは覚えていたので、妹に妹の年齢を聞いてその歳の差分を足して自分の年齢を算出する始末。
誕生日プレゼントに何か欲しいものがあるわけでもないし、ホールのケーキにロウソク立ててハッピーバースデーを歌ってからロウソクを吹き消すようなこともしない。
それに今はケトン食を実践していて糖質制限しているので甘いケーキなんてもってのほかだ。
ただ、本音を言えばケーキは食べたい…
がん進行度ステージⅣを告知されたときはこの日が来るとは思えなかった
まあ、それはさておき。無事に47歳を迎えられたことは今の僕にとっては十分めでたいことだ。
大腸がんだと診断され、手術後にがん進行度ステージⅣを告知されたのが2016年の6月ごろだから、あの頃の僕にからしたら約2年後の今頃こうして元気でいられるなんて思ってもみなかった。
よしんば生きていたとしてもボロボロ。
身体中癌に浸食されモルヒネとかで痛みを和らげることが精いっぱいの状態なのかも…なんてことを想像していた。
でも今は元気だし、身体のどこかが痛いということもない。
今日も7㎞ほどジョギングをしてきた。
本当は昨日と同様に15㎞走りたかったけど途中でバテてしまった。
それでも普通に走れるってことは元気なんだと思う。
今の僕は2年前にがん進行度ステージⅣだと告知されたばかりのときの僕が想像していた姿とは全く違う。
いや、全く想像していなかったわけではないが、どちらというと「希望的観測」の域をでなかった。もしくは、
「楽観的な想像」
「一縷ののぞみ」
「こうなったらいいな…」
そう思っていたものが今こうして現実となっている。
1週間後の検査の結果次第でこの先どうなるかは分からない
しかしそうそう楽観視ばかりもしていられない。
5月に行った前回の検査では精巣の近くに「しこり」のようなものがCT検査で発見された。
約1週間後に控えている次の検査まで、それがどうなっているのかは分からない。
現状のままなのか大きくなっているのか…
大腸癌と診断されてからの約2年間、酒もタバコもやめて健康には気を使ってきたがそれだけでどうにかなるものでもないみたいだ。
だが前回5月の検査からケトン食やジョギングなど生活習慣の改善の努力は続けてきた。
いまさらジタバタしてもしょうがない。
今の状態が不安なら、さらなる努力を重ねればいいだけだ。
とにかく僕は47歳になった。
2年前の僕に
「47歳になっても元気で生きてるよ」って言いたい。
大きく手を振ってにこやかに言いたい。
同様に48歳になった来年の僕からもにこやかに手を振ってもらいたいものだ。
迷った末にブログを公開することを決める
そしてブログを公開することに決めた。
ドメインも取った。
正直、このブログについて公開するかどうかは迷った。
抗がん剤治療が終わったころからのんきに過去に書き溜めたメモをまとめはじめ、そろそろブログとして公開しようと思っていた矢先に「がん再発」の可能性が出てきたからだ。
最後の更新が管理人ではなく、身内の手によって
「当ブログの管理人は他界しました」
とか、
「この世界から旅立ちました」
なんてことになるのは読んでいる方もつらいし、もし同じような境遇の人が読んでいたら落ち込ませてしまうかもしれない。
僕自身、これまでがん関連のブログを読んで最後の更新が上記のような感じで終わっているブログを読むとショックを受けたし、少し気持ちが落ち込んだりした。
そんなことになるくらいならいっそのこと公開しない方がいいのではないか?とも思った。
それに癌の再発ということになればいつまで生きていられるか分からない。
もしかしたら中途半端に終わるかもしれない。
そんな恐れもあったもあったので、ある程度ブログ公開の準備はできていたものの公開するかどうかはためらっていた。
同じ境遇の人の話を聞きたかった
振り返れば2016年、僕ががん進行度ステージⅣと告知されたときはとてもショックを受けた。そして、
「あ、僕はもう死んでしまうんだな…」
と強く感じ、誰でもいいから同じような境遇の人の話を聞きたいと強く思った。
はげしく落ち込み真っ暗な谷底に突き落とされたような気持ちの中で、同じ闇に落ち込んだことがある人と話をしたかった。
どんな気持ちだったのか聞きたかった。
当時はとてつもなく孤独で恐ろしくて震えて混乱していたから。
できればどうやってそのどん底の状態から抜け出したのか聞きたかった。
僕の場合は身近に「患者会」などのコミュニティが見つからなかったので、同じような癌の症状を持った人やそこから元気になった人の話を聞くことができなかった。
激しく落ち込み混乱のさなかにいたときは癌患者のお宅を一軒一軒ピンポン押して訪ねて回りたいとすら思ったほどだった。
そしてもし聞けるのなら元気に復活したという成功例を聞きたかった。
僕自身の例がこの先の未来で成功例になるかどうかは分からない。
でも結果がどうであれ僕の経験談が同じ悩みを持つ人の一助になればそれでいいと思う。
共感できる部分があれば共感してもらえればいいと思う。
自分だけじゃないんだな、と思ってもらえればいいと思う。
もしかしたら全く役に立たないかもしれないけど、それは読んだ人が判断すればいいだけのこと。
ボールを投げる前に「もし当たったりしたら痛いかな?」なんて躊躇して手を止めてもしょうがない。
もし受け取ってくれる人がいたとしたら、そのボールはその人にゆだねるべきなんだと今は思っている。
その人が感じたいように感じればいい。
そしてこのがん闘病記が少しでも、ほんのちょっとでも誰かのお役に立てればこんなにうれしいことはない。