癌が僕にもたらした「変革」とは。環境の変化について【がん闘病記79】
この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2016年の10月上旬ごろに書いたメモをまとめています。
癌に感謝するということ
抗がん剤治療も予定の半分(2016年10月時点)を終えた今、僕はなぜか癌に感謝しようという心境になっている。
それは主に癌が僕にもたらしてくれた「変化」について感謝したいと思っている。
「身体的な変革」と「精神的な変革」に続いて今回は「環境の変革」ついて書いてみたいと思う。
環境の変革
ステージ4の大腸癌の告知を受け、身体的変化、精神的変化と共に環境の変化も多少は起こった。
「もしかしたら自分がこの世界で生きていられる時間はそう長くはないのかもしれない」
そう思うと身の回りの不要な物はなるべく整理するようになった。
まだまだ十分ではないがぼちぼちやっていこうと思っている。
断捨離ってやつなのかな。
仕事も辞めることにした
先の見えないわずかな時間の命ならと、仕事も辞めた。
弟の独立を手伝う形で始めた塗装の仕事だけど5年くらいはやってきた。
この仕事を否定するつもりは全くないのだけれど、いつも心のどこかで「何かが違う、これは本当に自分がやりたいことじゃない」などといった青臭い感情が炭酸水が入ったコップにまとわりつく小さな泡のようにぽつぽつと浮かんでは消えていくのは分かっていた。
仕事に関しては癌にでもならなきゃこのままズルズルと自分の中で心からの納得も得心も出来ぬまま日々悶々とした思いで続けていたに違いない。
「仕事なんだから」とたいした理由でもないのにそれにすがってごまかしながら続けていたに違いない。
これも癌がもたらした大きな変革のひとつだ。
仕事を辞めても金銭的な面は独り身で実家に寄生している厚かましい甘たれなので少しは余裕があるし保険に入っていたのでそこまで深刻には考えないで済んだ。
金銭面での心配は特に無かった
癌と診断されるずっと前から医療保険やガン保険には入っていたので治療費の面であまり心配はなかった。
加えて預貯金も多少はあったので当面は大丈夫だろうと思っていた。
保障内容としては癌と診断された時点で100万円おりる一時給付金のほか、入院給付金、手術給付金などあわせると結構な金額になる。
保険範囲内の標準治療であれば、高額医療請求の手続きを事前にやっておけば、実際にかかる医療費も保険適用範囲内の治療であればひと月にかかる医療費は10万円以上かかることはめったにない。
あとは食事代や差額ベッド代になるので保険会社から給付される保険金で治療費は今のところ十分賄われ、お釣りが出るくらいだ。
担当医のウエノ先生の話だと僕が現在行っている抗がん剤は一回の治療で通常40万円くらいの費用がかかるらしいので日本の皆保険制度万歳と言うほかない。
本当にありがたいことだと思う。
しかし、今後癌の進行具合によっては保険適用外の治療を受けることになるかもしれない。
そうなると費用は莫大なものになるだろうから保険金が入ったと言って油断して散財はできない。
とりあえず当分は金銭的な心配はなく治療に専念でき、日々の時間を自分のために使うことができる。
これも癌のおかげといえばそうなるだろう。
環境に対する意識の変革
これはまだまだ訓練中なのだけど、なるべく日常を意識的に過ごしていこうと思ってる。
自分の人生で残された時間はもしかしたらもうあまり無いのかもしれと思うと今を生きているその一瞬一瞬を大切にしたいと思うようになった。
がんを告知される以前の僕はこの世界での自分の時間はまるで永遠に近いくらいの時間が残されていると誤解していた。
勝手にそのような幻想の世界に生きていた。
そんなだから日々なんとなくボーっと生きてきた。
「もしかしたら来年の今頃は自分はこの世界からいなくなっているのかもしれない」
そんなことはつゆほども思わなかった。
「自分の人生で残されている時間はまだまだ潤沢に、莫大にある」
そんな勘違いからまるで夏休みが始まったばかりの小学生が宿題に見向きもしないで遊びまわるように、僕は自分自身の人生の課題には無関心をきめこんでいた。
いや、正確に言うと無関心というよりは視界の端にはちらちらと見えているのだけれど、あえて見ないようにしているというかそんな感じだった。
でももうそんなに呑気に構えている場合じゃあなくなった。
癌は薄ぼんやりと生きてきた僕のお尻をバシバシ叩いて喝を入れてくれたようだ。
自分の人生の課題とは
僕の人生の課題、それがなんなのか今の時点ではまだハッキリとは分からないけど、日々の日常の中で何かヒントやキッカケになるものはないか目を凝らし、耳をすますことに意識を向けることにした。
何がヒントやキッカケなるかは分からない、道ですれ違う人たちのふとした会話の中にあるのかもしれない、ふいに見上げた空に浮かぶ雲のカタチにあるのかもしれない、壁に貼ってあるポスターのキャッチコピーにあるのかもしれない。
意識を向けるのは視覚や聴覚だけではなく身体にも意識を向けるようにしている。
歩くときの姿勢は背筋を真っ直ぐ伸ばし、重心の中心はおへその下あたりを意識して爪先から指の先までに意識を向けて歩くように心がけている。
でもこうやって常に気を張って意識的に過ごすというのはけっこう疲れる。
気を抜くとすぐにボヘーっとしてしまうのでこれはまだまだ訓練が必要だ。
人間の性根というものはなかなかそう簡単にかわるものではないらしい。
でも少なくともそのきっかけを与えてくれたのは癌だと思う。
さまざまな変革を与えてくれた癌はある意味劇薬と言ってもいいのかもしれない
このように癌は僕に様々な変革を与えてくれた。
ただしポジティブなことだけではない、癌はヘタをすると命を落としかねない劇薬でもある。
5年内生存率などを考えると命を落とす方が確率は高いのかもしれない。
だからこそ今まで意識してこなかった自分の命のことを真剣に考えるようになった。
一番いいのはこんな劇薬は飲むことなく自分自身を変えていければいいのだけど、これまでそれができなかった僕だからこそ癌になったのかな?と、逆説的に考えたりもする。
はっきりしていることはこの瞬間に変化が起きているということは確かなことだ。
これは紛れもない事実であり、そのことで癌に感謝したいと思うようになった。
ありがとう癌。僕に変化を与えてくれて。