ひと昔前なら余命半年と言われていたがん患者の僕が半年以上生き延びて思うこと【がん闘病記115】
この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2017年の1月下旬に書いたメモをまとめています。
余命は半年だったのかもしれない
2017年1月。
抗がん剤治療終了後から28日経過
今日は僕が癌であることを知ってお見舞いをくれた親戚たちを母と一緒に訪ねて回った。
抗がん剤治療も終わり経過観察に入ったということで、とりあえずは治療が一段落ついたことを報告するとともに、いただいたお見舞いのお返しを持っていこうというわけ。
そのうちの一軒、母の叔母にあたる大叔母の家でお茶をいただきながら雑談していると、やはり癌の病状の話になった。
その時、母が今までは黙っていたけど、実は手術直後に担当医のウエノ先生と僕の余命について話していたことを教えてくれた。
2016年の6月、僕の大腸癌摘出手術直後のこと
手術直後、
僕がまだ麻酔から覚めていないときに、母は切除した大腸の一部を先生から見せてもらったそうだ。
その時に癌が既に大腸の内部から外側まで進行していて、腹膜に移転している(腹膜播種)という説明を先生から聞いた後に、母は先生に僕の余命があとどれぐらいあるのか聞いていた。
母は先生にこう尋ねた。
「あの…先生、それで余命は…?」
先生が言うには
「ひと昔前なら余命は半年というところでしょう。でも今は医療技術が進んでいるし、いい薬も開発されているのでその限りではないですよ」
という会話を先生としていたそうだ。
「うわあ、お母さん先生とそんな話してたんだ…」
正直言って衝撃だった。
この「ひと昔前なら余命半年」という話は今このタイミングで聞いても背筋が寒くなる。
僕自身、ステージ4の告知受けた直後のタイミングでこの話を聞いていたらあの時よりもっと落ち込んでいただろうと思う。
僕の口から実際に担当医のウエノ先生に僕の余命がどれくらいなのか聞いたことはないけど、現時点ではその「ひと昔前なら余命半年」の半年はクリアしている。
この先どれくらい生きていられるか分からないけど1年、2年、3年とクリアしていきたい。
がんと診断されて半年以上たった今だから言えること
今生きていられるからこんなことが言えるのかもしれないけれど、癌と診断されていなければ、こんなにも人からの愛情を感じる事はなかっただろう。
こんなにも「生きている」ということを実感する事はなかっただろう。
こんなにも孤独と恐怖を味わう事はなかっただろう。
こんなにも大事なことを癌という大病を患わなければ気付くことができないなんて愚かなことだとも思う。
癌によって「死」をより鮮明に見ることで、今まで当たり前のように思っていた「生」を鮮明に見ることができる。
そのコントラストがハッキリと浮かび上がってくる。
癌によってもたらされた喜び悲しみ恐怖不安恐れ愛情友愛悲しみ哀惜悲観、その全てが僕に与えられたギフトだった。
癌は僕にとってさまざまなことを教えてくれた偉大なる師であった。
心の深い深い部分で見ればこれは全て僕が望んだことだったのだと思う。
この経験をすること、この感情を味わうことはすべて僕が望んだことだった。
悲しみも喜びも苦しみも全て、恐れも恐怖も不安も孤独も悲しみも愛も。
それらすべてを感じて「生きている」ということを実感するために。感じるために。体験するために。
言い訳用の人生
スティーブ・ジョブズの言葉で僕が好きな言葉がある。
「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか?」
今日の一日がまるで人生最後の日のようにふるまって生きるべきだという。
それは長期的な計画を諦める。ということではなく、その一瞬一瞬をまるで人生最後の日のように真剣に丁寧に味わい尽くさなければならない。ということなのだと僕はとらえている。
いつからだろうか「言い訳用の人生」を生きてきたのは。
自分が失敗をしたときに
「あの時は真剣じゃなかったから」
「本気じゃなかったから」
と言う言い訳を後に用意して生きてきたのは。
その生き方は確かに楽だった、でも僕自身が本当に望んだ生き方ではなかった。
たとえば、映画のクライマックスシーンの撮影に挑む俳優のように、
この一球で勝負が決まるメジャーリーグのピッチャーのように、
今まさに全身全霊を注いで作品を仕上げようとしている芸術家のように、
そんな真剣な生き方をしてみたいと思っていた。
いや、そう生きるべきだと思っていた。
心の奥底では。
でも実際は真剣に生きることを他人から揶揄され冷やかされ、それがまるでかっこ悪いことのように思えて恥ずかしくなり、ごまかすように「言い訳用の人生」を生きていた。
そんな生き方はもうたくさんだった。
しかし、長い間の習慣というものはそう簡単に覆されるものではなく、その生き方を変えるためには劇薬が必要だった。
僕の人生の予定調和を根底から爆破する、そんな強力な爆薬が必要だった。
それが癌だ。
僕にとって癌は人生を変える劇薬。晴天の雷そのものだった。
かゆみについて思うこと
長年僕を悩ませてきた「かゆみ」もそうだ。
かゆみは油断して生きている僕そのものを正すツールであるように思う。
映画の大事なシーンを撮ってる役者がかゆみに耐えきれずに撮影中に背中をボリボリかくわけがない。
呼吸ひとつ鼓動ひとつ、その所作行動思考言動発言全てが丁寧に真剣に行われていればかゆみにとらわれるわけがない。
かゆみが出ると言う事はその瞬間、僕が「おおいに油断して生きている」ということなのではないだろうか。
かゆみは人生に対して、その一瞬に対しての真剣さを図るバロメーターの1つでもあると思う。
それがかゆみの正体なのかな?と今は思う。
またネガティブの波に翻弄されるかもしれない
癌にしてもかゆみにしても僕は今こうして生きているからこんなことがいえるのであって、今まさに死の淵に立たされている人から見たらセーフティーゾーンからの呑気な物言いに聞こえるだろう。
そんな人たちに安易ななぐさめやおためごかしを言うつもりはないし、がん患者である僕もいつその死の淵に引き戻されるか分からない身の上でもある。
僕自身、今はポジティブな心持ちであってもいつまたネガティブの波に覆いつくされるかは分からない。
でも、そんな波があるということは確かだ。
なるべくならその波に翻弄されないように生きていこうと思う。
言い訳用ではない人生を。