ステージ4の大腸癌と診断された僕は運が悪かったのか?運について考えたこと【がん闘病記82】
この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2016年の10月中旬ごろに書いたメモをまとめています。
7クール目の抗がん剤投薬後から4日経過
2016年10月。
朝からオリーブオイルでボイルしたにんにくを食べたせいか分からないけど、なんだか今日は少しだけ元気な気がする。
抗がん剤の副作用としては今のところ下痢の症状は出ていないかわりに少し便秘気味ではあるので経過を慎重に見守ろうと思う。
大腸癌に罹った僕は運が悪かったのか?「運」についての個人的な考え方
癌と診断された後で会う人によっては
「運が悪かったね」
なんてことをたま言われる。
だけど僕自身「運」とか「運命」はあまり信じていない。
「信じていない」というのは正確な言い回しではないけど、そもそも「運」も「運命」も所詮は人間が作り出した観念というか概念でしかないので、それほど重要ではないと思っている。
それよりも「波」のようなものは確かにあると肌感覚で感じてはいる。
結局は運は良いか悪いかのどちらか
「運命」についてはひとまずおいといて、「運」に関しては結局のところ二元論に行きつくと思ってる。
要は「運が良い」か「運が悪い」か。
ポジティブな要素かネガティブな要素のどちらかになる。
「うわー運がいいねー!」
とか
「ありゃあ、運が悪かったねえ…」
なんて言い方はするけど
「へえ、運が良くも悪くもどっちでも無いね」
なんて言い方はあまりしない。(する場合もあるがそれはのちほど)
そもそも運が良くも悪くもなければ「運」なんて言葉自体あまり意味がなくなる。
多くの人が何かが起こったとき、その瞬間のイメージや印象で運の良し悪しを決める場合がほとんどではないだろうか。
たとえば、
道で一万円拾った。→運が良い。
駅のホームで滑って転んだ→運が悪い。
といったように。
しかし、一見ポジティブに見える事柄でも時間が経つとネガティブなことの原因であったりするし、またその逆の場合もある。
宝くじに当たった人は本当に運が良いのか?
例えば宝くじに当選して何億もの現金が手に入るとする。
これは一見すると「運が良い」ように見えるが、結果的には宝くじに当たったばっかりに仕事を辞め美食や贅沢にふけって身体を壊し結局寿命を縮めたり、散在しすぎて結局蓄財どころか借金を背負う羽目になってしまったり、お金目当てで集まってくる人間ばかりで気が休まることが無い。などといったネガティブの要因になる場合もある。
「宝くじにさえ当たらなければこんなにも人生が狂うことはなかったのに…」
なんて後悔するケースもある。
別の例えだと交通事故にあって怪我をして入院することになってしまったとする。
これは一見すると「運が悪い」ネガティブな出来事に見えるが、場合によっては入院先の病院で看病してくれた看護師さんと恋に落ちて交際が始まり最終的には結婚した。なんて話は世の中ではそう珍しい話ではないはずだ。
「交通事故にあっていなければ僕たちは出会うことはなかったかもしれないね」
なんて数年後に夫婦で過去を笑いながら話しているのかもしれない。
結局のところ運ってなんなの?
結局のところ「運」に良いも悪いもなく、受け取る側次第でどちらにでも受け取ることができるということなのではないかなと思う。
長いスパンで見れば一見運が良いように見えても実は不運の始まりだったり、逆にトラブルやピンチがいい結果を招くきっかけになったりもする。
結局のところ運が良かったのか悪かったのか分からないという場合が多い。
そんなとき人は
「運がいいんだか悪いんだか」
なんて揶揄することも多分にあるだろう。
そして「運」に良いも悪いもないのなら「運」そのものに意味なんてあまりないんじゃないかな。というのが僕の個人的な考え。
たとえば、キラキラした豪華な包装紙にくるまれたプレゼントを受け取った。でも、蓋を開ければトゲだらけのいばらで中身は埋めつくされていた。しかし、そのいばらをかき分けてみると奥には輝く大粒のダイヤモンドがあり、そのダイヤモンドを手にしたばっかりに盗賊におそわれ・・・とこれ以上はキリがないのでやめておこう。
自分に起きた一時的な現象について運が良いか悪いかなんてオセロの駒みたいなもんで、見ようによっては後でいくらでもひっくり返ったりすることがあるのでいちいちきりきり舞いしててもしょうがないってことだと思う。
まあ、そのゲームを楽しみたい人にとってはエキサイティングなゲームなのかもしれないけれど。
結論として癌と診断された僕は運が良かったのか?悪かったのか?
僕が癌になったことは運が良かったのか悪かったのか。
普通に考えたら運が悪いと思われるだろうけど、僕自身はどちらでもないと思っている。
一般的に「癌」なんてネガティブの塊みたいなもんで、できれば自分の人生、もしくは自分の周辺の親しい人たち全てから遠ざけていたいとは思う。
癌と診断された多くの人は
「なんてツイてないんだ…」
とか
「なんで自分がこんな目に…」
なんて思うことはごく当たり前のことで、僕自身癌と診断された当初はそんな感情が全く無かったかといえば嘘になるだろう。
でも僕にとっての癌は人生を確実に変えてくれた最も強力でパワフルなツールのひとつだ。
これまでの僕の人生は固まりかけのコールタールのように停滞していた。
過去にはなんとか変えようと試みたが、その上澄みをすくってかき混ぜてみても底の方にたまった流動性を失って固くなった部分はどうにもならなかった。
青天の霹靂。
僕はいきなり雷に打たれるような出来事が起きて人生を変えてくれないかと常々思っていた。
そんな僕の人生を根底から、底の奥のまた底のほうから僕の人生の予定調和を爆発させ破壊したのが癌だった。
癌は僕にとって雲一つない青空から突然僕を貫いた稲妻だった。
臆病な僕は癌にならなければ「なんとか人生を変えたい」と心では思いつつも自分の生活を根底から覆すようなリスクは犯すことなく、ただ時計の針が進むのに身を任せていた人生だったんだと思う。
僕自身、心の奥底では変化のない人生はイヤだったんだと思っていたんだと思う。
だから現時点では「癌」に感謝したいとさえ思っている。
「癌と戦って絶対勝つぞ!」なんてカラ元気で無理にはしゃいでもわざとらしいし、ネガティブな事柄を運のせいにして気持ちの整理に利用することもできるけど、それではどうもピンとこないし根本的に何かごまかしなようなものを感じて納得できない。
だから僕は癌になって運が良かったのか悪かったのか?
その答えは
「やっぱりどちらでもない」
になるのだと思う。