連絡がつかない1人暮らしの叔父の様子を見に行くと、そこはとんでもない状況だった【がん闘病記90】
この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2016年の10月下旬ごろに書いたメモをまとめています。
8クール目の抗がん剤投薬後から5日経過
2016年10月。
今現在身体に残る抗がん剤によるダメージは予想以上のようで、抗がん剤投薬から5日たっても気分はよくならない。
今日は足元もなんだかおぼつかなくなっているみたいで普通に歩くのもしんどい。
おそらく足が上がりづらくなっているのか、何もないところでつまづきそうになる。
舌も絶賛痺れ中で何を食べてもおいしくない。
昨日、風呂に入る前に体重を測ったら60㎏だった。
とうとう体重も60㎏台を切りそうだ。
75㎏あった体重もどこまで痩せていくんだろう。
あと5㎏くらいは大丈夫だろうけど、それにしてもここまで痩せてなお、腹の脂肪は無くなり切らない。
脂肪の最終防衛ラインかっての。
しぶとい腹肉がいまいましい。
みそ汁を飲んで舌の痺れ具合を確認する
8クール目の抗がん剤投薬後から6日経過
体調は徐々にだがよくなってきてはいるが、やはり抗がん剤治療を重ねるごとにその回復スピードは遅くなっていっている気がする。
気づきにくいところに抗がん剤によるダメージは蓄積されているのかもしれない。
足が上がりにくくなっているのか何気なく平坦な道を歩いていてもつまづくことが多くなった。
そして最近気づいたことだが、舌の痺れ具合を確認する手段の一つとして
「暖かい味噌汁を飲む」というのがある。
舌の痺れが酷いときは味噌汁を飲んでも味が感じられず、ただのお湯を飲んでいるような気さえする。
舌の痺れが軽度になってくるにつれ味噌の味が感じられるようになってくるようだ。
舌が痺れた状態では何を食べてもおいしく感じない、それならまだ生のキャベツでもかじってた方がましだと思う。
連絡がつかない一人暮らしの叔父の様子を見に行く
8クール目の抗がん剤投薬後から7日経過
今日は最近連絡が取れなくなった叔父のところまで母と一緒に行くことに。
この叔父は母の弟にあたる人で家から車で30分くらい離れた市営のアパートに1人で住んでいる。
年齢は60代後半で、いわゆる独居老人というやつだ。
家に電話は無いが、一応携帯電話は持ってはいる。
しかし、めったに他人からの連絡がないみたいなので普段からあまり着信を気にするようなことはなく、いつも何度連絡してもつながらないと親戚中をヤキモキさせているような人だ。
そしてその叔父がここ数日いくら携帯に連絡してもつながらないと母が言うので
「それならいっそのこと様子を見に行ってみよう」
ということになったのだ。
独居老人の孤独死なんてこともあながちありえないことじゃない。
1人だからちょっと風呂場でつまづいて転んで、打ち所が悪くそのまま誰の助けも呼べずに…なんてことだって別に珍しい話でもない。
しかしまあ、こんな話はたいてい冗談で終わって、結局のところ行ってみたら単に携帯の充電を忘れてただけでしたー、てなオチがついて終わりだと車で向かう道中は思っていた。
そうこうするうちに叔父の住むアパートに到着。
4階の叔父の部屋まで行き、ドアに手をかける。
鍵がかかってない…
そのままドアを開けて中に入ると目の前にはおぞましい光景が広がっていた。
あたり一面ゴミゴミゴミのゴミ屋敷だ。
足の踏み場もないとはこのことだ。というより歩くたびに足元がべたべたしていて気持ち悪い。
奥の部屋ではテレビをつけっぱなしにしてその前に万年床を敷いて叔父が横たわっていた。
布団の周りもゴミだらけでタバコの吸い殻や空いた酒パックやらが散乱し、叔父の周りをたくさんのコバエが舞っている。
玄関から声をかけてもピクリとも動かない叔父。
僕の中で最悪のシナリオが現実味を帯びてきた。
恐ろしくなって玄関から動けず、しばらく遠巻きに
「おじさん!おじさん!」
と、声をかけていると口元が少しだけ動いた気がした。
ゴミの山をかき分け、横たわる叔父に近づきゆすってみると目をパチリと開け、驚いた表情でこちらを見ている。
ああ、よかった。とりあえず生きていた。
携帯電話も散乱したゴミの中に紛れてどこに行ったか分からなかったらしい。
そのあとは母と2人で大掃除。
母は掃除の最中も叔父に対してずーっと説教しながら手を休めずてきぱきと掃除をこなしていった。
「男やもめに蛆がわく」なんて聞いたことがあるけど本当に蛆がわいているところを初めて見た。
しかし、普段たいした来客もなく、ずーっと一人暮らしの老人男性ならこんなものなのかもしれない。と、ちょっと思ってはみたもののこれはあまりにも酷すぎる。
世の中の一人暮らしの老人男性でもいつもこぎれいにしておられる人はたくさんいるはずだ。
あまりの叔父のだらしなさに掃除をしながら怒りさえこみ上げてきた。
そんな叔父が僕の顔を見て言う。
「おまえ、顔が黒いけど病気か何かしとるんか?」
僕が答えあぐねていると掃除をしながら母が答えた。
「病気も病気よ、この子は不治の病にかかって大変なんだから」
ここまで言われたらもう隠すこともあるまい。
「癌なんだ。大腸がんのステージ4だよ」
僕がそういうと叔父はどう答えていいかわからない表情で僕を見たまま
「癌か…」
と小さくつぶやいた。
「叔父さんも1人で大変だろうけど、僕も頑張って生きようと一生懸命いまやってるよ。だからこんなだらしない生活はやめてしっかりしないと」
続けて、
「もしかしたら僕の方が叔父さんより早く死ぬかもしれない。けどあきらめないで精いっぱい努力してるから叔父さんも頑張ってよ」
それを受けて叔父が
「僕の方が早く死ぬとか、そんなこと言うなよ…」
叔父は半ベソになりながら弱弱しく僕に告げた。
叔父は見た目は怖い人なのに、昔から涙もろい人だった。
そうこうしてる間も母はてきぱきとゴミをまとめていた。
とりあえずペットボトル関連だけは持って帰ることにして、その他のゴミは自分で捨てるように言って叔父の家を後にした。
まったくひどい目にあったものだ。
しかし後になって考えてみるとこの時の叔父の状況もしょうがなかったのだろうと思うことがある。
後に分かったことだけど、叔父はこの時すでに身体を癌に侵されていたのだから。