タカおじさんの通夜と葬儀告別式【がん闘病記104】
この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2016年の12月初旬に書いたメモをまとめています。
タカおじさんが亡くなった
2016年12月。
10クール目の抗がん剤投薬から14日経過
今朝早朝に緊急入院していた叔父「タカおじさん」が亡くなった。
あっという間だった。
独居老人の孤独死寸前のところを救急車で運ばれてから2週間と経っていない。
昨日の夕方、母と見舞いに行ったときはもう既に意識はなく、大掛かりな機械で酸素マスクから酸素が肺に送り込まれ時折小さく痙攣するくらいだった。
母が呼びかけてみても返事はない。
「このまま意識も無く、眠るように死んでいったら苦しむことも無くて幸せなのかもしれないな…」
なんてその時は考えたりもしたが存外に早くあっけなく亡くなってしまった。
これも一つの病気との向き合い方なのだろうか。
最後の最後まで病気から目を背け見ないようにして、もうどうしようもなくなるまで放置して容体が急変してあっけなく亡くなってしまう。
人生人それぞれというが、これも一つの生き方なのだろう。
タカおじさんはそういう生き方を経験するためにその人生を生きて、そういう生き方を僕たちに見せるためにその人生を生きた。
そのことについて否定や肯定をする資格は僕にはない。
僕個人の考えとしては
「全ての人の人生がどういう人生であってもそれは100%完璧だ」
と僕は思っている。
ただこれは僕のなかでの論理的な考えで湧き上がってくる感情とは少しちがう。
悔しいし腹立たしい
今の感情的な面を正直に告白すると、悔しいし腹立たしい気持ちになっているところはある。
「なんでこんなことになる前に早くに病院に行かなかったのか」
「首に縄付けて無理にでも病院に連れていくべきだったのか」
「どうしてしっかりと病気と向き合うことをしなかったんだ」
そんな言葉ばかりが頭の中をぐるぐると回り続ける。
今思えばタカおじさんの体調は数年前から悪かったと思う。
親戚の集まりなどで会うたびに、なんだか具合が悪そうだった。
本人は「風邪気味で調子が悪いだけよ」とか言っていたが、今考えればその時から癌の兆候は出ていたのかもしれない。
母や大叔母さんら周囲の人間はそんなタカおじさんを心配して病院に行くことを強く勧めたが
「いいからいいから、そのうち治るから」
そんなことを言いながらのらりくらりとかわしつつ最後まで病気と向き合うことから逃げ続けてきた。
本当はタカおじさん本人も内心では分かっていたのではないだろうか、これがただの風邪ではなくもっと深刻な病気だってことを。
それを自分自身で起き上がることができなくなるまで放置していた。
ギリギリまで酒を飲みタバコを吸い、病気のことを見ないようにしてきた。
その弱さに悔しさというか後悔というか腹立たしさがこみあげてくることを否定することはできない。
「ふざけるなよ!」
「言えよ!」
「頼れよ!」
「気を使うなよ!」
「逃げるなよ!」
悔しくて腹立たしくて悲しくてたまらない。
この感情は僕の勝手な思いあがったエゴだということも分かる。
批判も否定もレッテル貼りもすべきではない。すべきではないけど湧き上がってくるこの思いを止めることができない。
そして悔しくて腹立たしい気持ちは「何もできなかった自分の無力さ」へ向けられたものなのかもしれない。
苦しんだ期間が短かったことが救い
しかし最後はそんなに長い間苦しまずに済んだということが唯一の救いなのかもしれない。
救急車を呼んでから2週間も経たずに逝ってしまった。
それでも本当に苦しそうだったのは最後の3日間くらいだったから短いほうだと思う。
病院で長くあてもない闘病生活を送るよりはギリギリまで自宅の自分の布団の上で過ごせていたタカおじさんはある意味幸せなのかもしれない。
でもねおじさん、こんな生き様をみせるためにタカおじさんの命を使うことはないんだよ?
そうだろう?
タカおじさんの通夜式
10クール目の抗がん剤投薬から15日経過
僕自身の体調としては副作用の影響からか昨日からどうも体調が悪いようで、今日は一日ほぼ横になっていた。
周期的なぶり返しなのだろうか?それとも他に原因があるのか分からないが、今日はどうにもダルかった。
今日は夕方からタカおじさんの通夜があった。
タカおじさんは他に身寄りが無いので実の姉である僕の母が喪主を務め、ごくごく厳かに執り行われた。
きれいな死に顔をしていた。
弔問客にそのことを言われると嬉しそうにしている母の姿があった。
それだけが救いだった。
タカおじさんの葬儀告別式
10クール目の抗がん剤投薬から16日経過
今日、タカおじさんの葬儀告別式が厳かに執り行われた。
葬式から火葬場でのお骨上げまでがあっという間に終わった印象だ。
僕自身はおとといくらいからどうも身体の調子が悪くてたいしたことは何もできなかった。
でも、たまたまいいタイミングで帰省していた妹が母といっしょに良く動いてくれたので助かった。
あっという間に骨になって小さな骨壺に入ってしまったタカおじさんを見て、人生とはこうもあっけなく終わるものかとあらためて痛感した。
なんというかあっけなく、さっぱりとこの世を去っていったような感じがする。
これも人生のひとつなのか。
タカおじさんらしいといえばタカおじさんらしい。
明日から11クール目の抗がん剤治療が始まる
ひと息つく間もなく明日からまた抗がん剤治療のための入院が始まる。
次でいよいよ11回目だ。
予定数も残すところあと2回。
次を終えたらあと1回になる。
ラスト1回。
ラスイチ。
そのあとの検査が終わってみないことにはまだ何も分からないけど。
まあよくここまで我慢してやってこれたなと自分をほめてやりたいよ。