44歳の僕がステージ4の大腸がんと診断されて

2016年大腸がん発覚。手術後、腹膜への転移が確認されステージⅣだと告知される。その後半年間に及ぶベクティビックス抗がん剤治療を受ける。2018年12月がん再発。アバスチン抗がん剤治療を受ける。48歳になりました。

大腸がん手術から2日後にはベッドから立ち上がり、歩くことになった

大腸がん手術から2日後にはベッドから立ち上がり、歩くことになった

この記事ではヨシノ(id:yo_kmr)が2016年の6月初旬ごろに書いたメモをまとめています。大腸がんの手術の傷も癒えぬうちにベッドから起き上がり歩行訓練をすることになりました。

大腸がんの手術から2日経過

2016年6月。

手術から2日経った日の朝、担当医のウエノ先生が病室まで様子を見に来てくださった。

その際に鼻から出ている「胃から液体か何かを出すための管(胃管)」を外してくれた。

これでまた身体を縛っていた枷が一つ外された。

ちょっとだけ気が楽になった気がする。

この管は手術後麻酔から覚めた時は既に鼻に入っていたとはいえ、やはり気持ち悪かったことには変わりはなかったので。

おっかなびっくりの離床訓練と歩行訓練

午前10時頃、痛み止めが効いてウトウトしていると担当のゴトウ看護師さんが病室に来て、

「歩行訓練しませんか?」

と言ってきた。

え?手術からまだ2日しか経ってないのにもう歩くの?

率直な印象といえばこんな感じだが、それは口には出さずに少し怖くもあったが、なるべく早く動けるようになりたいので

「やります」

と返事をした。
これによって両足についていた空気圧による伸縮で足に血がたまらないようにする機械(間欠的下肢マッサージ器)が外されることになった。この装置も一日中足元でシュッコシュッコ言っててわずらわしかったのでお別れできて清々する。

そしていよいよ手術後初めて上体を起こすことになるのだけどこれが結構怖い。

恐るおそる少しづつ上体を起こしていく…

でも少し起こしたところで怖くて動かせなくなった。

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頭の中で次のような考えがまわりだして行動にストップをかける。

「これ以上はだめだ…きっと傷に響くんじゃないかな…」

またあの激しい痛みに襲われると思うと怖くなってくる。

というより今までどうやって起き上がってたっけ?

なるべく腹筋を使わないようにして起き上がろうとしていたので、あれこれ難しく考えすぎてしまい、なんだか訳が分からなくなってしまった。

そんな僕の苦悩を見て取ったのかゴトウ看護師さんが

「先にベッド脇の手すりを持ってから足を下ろしましょうねー」

とアドバイスをくれた。

降りるのはベッドの左側だ。

右手でベッド左側の手すりを持ち、身体を仰向けの状態から横向きに倒した後、なるべく腹筋を使わず脇腹の筋肉で起き上がると以外に痛みは少なく起き上がれた。

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ふー、2日間寝たきりだっただけなのに、ずいぶん久しぶりに起き上がったような気がする。

なんか変な汗が出てる。頭の血がさーっと下の方に降りていくような感じ。

ゴトウ看護師さんが痛みや吐き気は無いか聞いてくるが特に気になるような痛みも吐き気もなかった。大丈夫。まだやれます!次はゆっくりと立ち上がる。

軽くフラッとした感じはあるが大丈夫そうだ。

次にゆっくりと一歩前へ足を出す。

おお!歩けた!

何でもないことなのになぜだか嬉しい。

そして歩行器のような歩くのを補助してくれる機器につかまって病棟内の廊下をゆっくりと歩く。

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看護師さんに付き添ってもらってはいるものの結構歩けた気がする。

病棟の長い廊下、200メートルくらいは歩いたんじゃないかと思う。

歩いている最中、若干ではあるが傷に響く気もするが大丈夫。そんなに深刻なダメージではない。

そして気づいたのだが、このとき響いてた傷はおそらく外側の傷。たぶん筋肉を縫合した部分なのだと思う。

対して今まで痛み止めをしてもらわないと耐え切れなかったのは内側の傷なんじゃないかな?と。大腸を縫合した部分なんじゃないかと推測する。

歩行訓練の途中で見た、狭い個室の中で悲しみに包まれる人たち

病棟の廊下をぐるっと一周して部屋へ戻る途中、重症個室という一人部屋の中で親族らしき人達が集まって泣いているところに出くわす。

狭い個室に10人以上がすし詰め状態で入ってベッドに横たわっている老人を囲んで泣いている。

子供から初老の方たちまで、実に親族一同が集まっているといった感じだった。

部屋の主はおそらくつい今しがた息を引き取ったのだろう。

そんな悲しい空気が狭い病室の中に満ちていることは外から見ても明らかだった。
亡くなった人はもしかしたら手術直後に一緒にHCUハイケアユニットに入ってた人かもしれない。

そんなことをふと思った。

近い将来、自分も同じように重症患者が入る個室で最後を迎えることになるのかもしれないと思うと、少しだけ気持ちが鉛のように重くなるような気がした。

人ひとりが亡くなることなんてこの病棟内では珍しいことではないのだろうけど、あの悲しみに包まれた空間に触れて気が滅入らないといえば嘘になる。

でも歩き終わって病室に帰ったときには、ちょっと歩いただけでたいしたこともしていないのに「ひと仕事してやった」ような気分にもなっていたから不思議だ。

静かな病棟の夜に

この日の夜はまた痛み止めの処置してもらってうつらうつらする。

基本、病院の夜は静かだ。

消灯後の4人部屋の仄暗い病室の中では各ベッドのそばのテレビの光が仕切りのカーテン越しにちらちらと揺れているがイヤホンから音が漏れ出てくるほどの大音量で聞く人はめったにいない。

同室のおじいさん達が激しく痰をきって、「っがあああ!」と痰を吐くとき以外はシーンとしている。

夜の病棟で聞こえてくる泣き声

夜も更けた11時ごろ、僕の隣の通路側のベッドにいるおじいさんが泣いている。

カーテン一枚隔てた向こうで静かに泣いている。

僕はこの時テレビも見ないでボーっとしていて耳にイヤホンとかつけていなかったので、隣から聞こえてくるおじいさんのさめざめと静かに泣く声と時折鼻をすする音が聞き取れた。

僕自身、まだほとんど自力では身動きが取れないのでどんなおじいさんかは分からないが感じからしておそらく80歳は過ぎているだろう。

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おじいさんなんで泣いてるの?
こんな身体になった自分を呪って?
いよいよ迫る終末を恐れて?
ホントのことは分からない。

僕たちが今いる病室はナースステーションにほど近い場所。

何かあったときにすぐ対応できるように手術直後の患者や重症患者が入る場所。

いわゆる終わりに近い人間が入るところだ。 

となりのおじいさんが何を思って泣いていたのか今となっては分からないけど、泣きたくなる気持ちも分からないでもない。

それほどまでに夜の病棟の静けさは人を寂しく孤独な気持ちにさせるのだと思う。