がん進行度のステージⅣを告知された翌日、僕は白衣の天使に会った
がん進行度のステージⅣを告知された翌日、僕は白衣の天使に会った
この記事ではヨシノ(id:yo_kmr)が2016年の6月下旬ごろに書いたメモをまとめています。がん進行度ステージⅣを告知された翌日、どうしようもなく落ち込んでいる僕を救ってくれたのは担当の看護師さんでした。
大腸がん手術から13日経過。ステージⅣ告知の翌日、退院の日
2016年6月。
担当医のウエノ先生からがん進行度ステージⅣであることを告知された翌日の朝であり、今日は退院する日でもある。
昨晩よりも幾分気分は楽になった気はするが「がん進行度ステージ4」という言葉は僕の背骨から内臓にかけてどんよりと鈍く重くのしかかっているまま。
そうこうしてるうちに朝食の時間。
あまり箸が進まない。食欲がない。食べたいと思わない。
これまで僕はどんなことがあっても食欲だけは無くならない。と思っていたんだけど、自分にも少しは繊細なところがあるのだなあと、他人事のように感心する。
食事もそこそこに、なんとかして気を紛らわそうと病室を出て少し散歩をする。エレベーターで1階まで降りると待合室やロビーでは外来の患者さんやお見舞いに来られた人たちでにぎわっていた。
がん患者ではない自分以外の人間がうらやましくてならない
すれ違う人たち全員がうらやましく思えてならない。
あなたは僕より生きられるんでしょ?
この先何年もこの世界にい続けられるんですよね?
僕が見れない未来が見れるんですよね?
いいなあ、いいなあ、うらやましいなあ…
今、僕の周りを包んでるのは恐怖、悲しみ、孤独といった重苦しい空気だけ。
絞首台の前に立たされた死刑囚はこんな気持ちなのだろうか?降り注ぐ爆撃のなか塹壕の中で身を縮めて迫り来る敵兵に怯える兵士はこんな気持なのだろうか?
怖い怖い怖い寂しい寂しい寂しい悲しい悲しい悲しい…つらい苦しい助けて欲しい…
散歩を終え、病室に戻るとそんな気持ちに追い打ちをかけるように、担当の薬剤師さんがやってきて抗がん剤についての説明をしていった。
どんな副作用があるとか身体への影響だとか、気が重くなる話ばかりだけど、薬剤師さんもこれが仕事なんでしかたがない。僕と言えば半分上の空で薬剤師さんの説明を聞いていた。
薬剤師さんが説明を終えてすぐ、ちょうど入れ替わりで担当のゴトウ看護師さんが様子を見にきてくれた。
ただ様子を見に来てくれた看護師さん
ゴトウ看護師さんは検温するでも血圧を測るでもなく、ただ様子を見にきてくれたようだ。
「大変な状況ですが大丈夫ですか?」
ベッドの傍らに立ち、優しく僕に問いかけてくれる。
「はい、大丈夫です。でもやっぱり『がん進行度ステージ4』いう言葉が頭に重くのしかかって気持ちがひどく落ち込んでいるのは確かです」
上半身だけ起き上がり、ベッドに腰かけて看護師さんを見上げながら答えた。
「まさか自分がそんな状況になるなんて誰だって受け入れがたいですもんね、ショック大きかったんじゃないですか?」
「はい、人並みにショックを受けてるのは確かです。ただ怖くて悲しくて寂しくて心細くてたまらないんです」
正直に今の自分の心境を話した。
そんな弱気な僕を気遣ってか、ゴトウ看護師さんは僕のすぐそばまで来て優しく僕の背中をさすってくれた。
小さな手からぬくもりが伝わってくる。ほんの少し気持ちが楽になってくるのが分かる。
「ヨシノさんの場合、外科的手術ができてよかったと思いますよ。若くて回復も早いですしね。なかには手術もできずに抗がん剤に頼るしかないって人もたくさんいますから」
「そうやってポジティブなことを言ったいただけると気持ちが楽になりますよ、ありがとうございます」
「いえいえ本当のことですから」
そう言ってからしばらくの間、ゴトウ看護師さんは黙って僕の背中をさすり続けてくれた。初夏の光差し込む午前の静かな病室の中、僕の背中をさする衣擦れの音だけが聞こえていた。沈黙の中、さっきから僕の頭の中で浮かんでは消える僕の恥ずかしい思いを意を決してゴトウ看護師さんに尋ねてみた。
恥ずかしいけど看護師さんの手を握りたい
「あのっ…少しの間で構わないんで手を握ってもらえませんか?」
「ええ、ぜんぜんいいですよ」
優しい微笑みと一緒に差し出された手をそっと握る。
人のぬくもりが伝わる。
恐怖と孤独と寂しさで寒々としていた僕の心にふんわりと温かい春の日の木漏れ日が差したように感じる。
「すみません、ただ怖くて心細くてたまらないんです…」
「誰だってこういう状況ならそうなりますよ、怖いですよね」
ひとまわり?いや多分ふたまわり近く自分よりも若い女性の看護師に何を甘えてるんだと思われるかもしれないが、この時の僕は藁にもすがる気持ちだった。
僕は全然強い男じゃなかった。女々しくて情けなくて小さな男だった。40過ぎのいい歳した男が20代の看護師の手を握って、木から落ちた子リスのように小さくなって震えている。
滑稽だ。
みっともない。
情けない。
恥ずかしいったらない。
でも、握ったその手を僕は放せないままでいた。
「ありがとうございます。なんだか気持ちが楽になった気がします」
本当にそうだった。
「ヨシノさんは頑張り屋さんですもんね、歩行訓練のときもすごい歩いてびっくりしましたよ。でもあまりため込みすぎるのはよくないですよ」
そう言われ、僕は自分の気持ちを吐き出したくてたまらなくなった。
「本当はベッドに突っ伏して泣きたいんです、これからの抗がん剤治療のことも不安でたまらないし、情けない話ですが…」
「泣いてもいいんですよ」
背中をさすりながら優しくそう言ってくれた。
泣きたい。
大声で泣きたい。
涙と一緒にこの悲しみ苦しみが少しでも身体から出て行ってくれるのなら、いくらでも涙を流してしまいたい。
でも、涙は出なかった。
小さな子供のように泣きじゃくることができれば、幾分か気持ちも楽になるだろうに…
看護師さんのやさしさに、そのぬくもりに心癒される
「ステージ4の癌だと告知されることがこんなにも怖いことだなんて思ってもみませんでした、こんなにも心細く寂しいことだなんて思ってもみませんでした、こんなにもたまらない気持ちになるなんて…」
僕がそう言いうとゴトウ看護師さんはやさしく抱きしめるように腕をまわして黙って僕の頭を撫でてくれた。
鼓動が聞こえる。
柔らかい胸から感じる体温の温かさ、ぬくもり。
自分以外の命の脈動を感じる。
髪をなでるやさしい手。
そのすべてが優しい。
優しい光に包まれている。
その光は強く温かく輝き、冷たく固まっていた僕の恐怖や孤独や寂しさをやわらかく照らす。
息を吸うごとに優しさに包まれていることが分かる。
恐れや悲しみが少しづつ、ゆっくりと溶け出していく。
なんというやさしさ、なんという慈しみ、なんという友愛。
僕は今、恐れや悲しみと対極のものを感じている。
救われた。
どんづまりだった僕の心ががそのやさしさで救われた。
凍えきっていた僕の心に背中からあたたかいコートを羽織らせてくれたようだ。こんなドラマみたいなことがあるんだ…
ありがとう、本当にありがとうゴトウ看護師さん。
「ありがとうございます。本当に気持ちが楽になりました。もう大丈夫ですよ。それにあまり看護師さんを引き留めては申し訳ないので…」
「私なら大丈夫ですよ。気にしないでください」
そう言うとしばらくの間、看護師さんは優しく僕の頭をなで続けてくれた。
どれくらいの時間そうしていたのかは分からないが他の業務に支障が出ないのかな?と心配になるくらい永い時間に思えた。僕は黙ってその行為に甘えていたが、気持ちが落ち着いてくるとだんだん気恥ずかしい気持ちにもなってくる。
ついさっきまで必死ですがっていたのに。そう、僕は身勝手で厚かましい人間だ。それからしばらくして、病院の事務員さんが入院費の請求書を持って病室を訪ねてくるまでゴトウ看護師さんは僕の頭をなで続けてくれた。
「つらくなったらいつでも逃げていいんですよ。ヨシノさんのしたいようにやればいいんです」
最後にそうやさしく語りかけてくれて看護師さんは業務に戻られた。ありがとう。ゴトウ看護師さん、助かりました。彼女は僕にとって本当の意味での白衣の天使だった。
元気が出たので退院の準備に取り掛かろうと思う。
ベッドから立ち上がり、病室の戸棚を開けて入っている荷物の整理を始めた。