44歳の僕がステージ4の大腸がんと診断されて

2016年大腸がん発覚。手術後、腹膜への転移が確認されステージⅣだと告知される。その後半年間に及ぶベクティビックス抗がん剤治療を受ける。2018年12月がん再発。アバスチン抗がん剤治療を受ける。48歳になりました。

ステージ4の癌と分かって見えなくなったもの、見えてきたもの【がん闘病記28】

この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2016年の7月初旬ごろに書いたメモをまとめています。

退院から10日経過。見えなくなった道の先

今日から月が替わって7月になった。2016年の7月。

でも月が替わっても相も変わらず悲しみの中で目を覚ましている。

いつの日か喜びの光に包まれて目を覚ますことができる日が来るのだろうか。

死ぬまでのいつの日にか。 

とは言うものの、今日は昨日に比べて気分は多少落ち着いている。

やはり波があるのだろうか。

浮きつ沈みつはしつつもこの先落ち着いていくのだろうか、今の段階ではまだ分からない。

この先どれほどの道が続いているのか

僕の人生の道。これから先の道があとどれくらい続いているのかは分からない。

道の先に視線を投げても真っ暗で何も見通せない。

見えなくなった。

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「お先真っ暗」というわけではないけれど、これから先の人生に幾多の困難が待ち受けていることはほぼ間違いない。

裂かれるように痛かったり、鈍く重く苦しかったり、吐き出したくなるほど辛かったり。

自分の人生が光り輝くものではないと分かったとき、気分と共に思考も暗く落ち込んでいくのかもしれない。

 

便秘が原因?

これは以前にも書いたことだけど、気分の落ち込みの原因として、もしかしたら便秘が関わっているのかもしれないと考える。

実際のところ昨日までは便秘気味だったけど、今朝は多少の排便があった。

重苦しい気分の原因がお腹の重苦しさからくるものなのか、体調と感情が連動しているのかどうかは分からないけど、もしそうだとしたら僕の気分や感情の浮き沈みは「うんこ」に左右されていることになる。(お食事中の方がいらしたら申し訳ありません)

そうなると今、僕の身体でイニシアチブ(主導権)をとっているのは他でもない「うんこ」だということになる。

僕の気分はうんこの気分次第?

うんこがすんなり出て行ってくれれば気分は落ち着き、居座り続けると不安になるのか?

手術で癌と一緒に大腸を20㎝も取り去ってるんだからそりゃあ今まで通りってワケにはいかないだろうけど…

うんこに感情を振り回されているとしたらなんだか情けない気分になってしまう。

 

大便よ願わくばさっさと出て行ってくれないか?

頼むからあまり長居はしないで欲しい。

 

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いずれいつかの権化と見えてきたもの

僕はステージ4の大腸癌を宣告されるまでは

「いずれそのうち、いつかそのうち」

の権化だった。

例えて言うなら僕の身体の一部を刃物で切り付けると「いずれそのうち、いつかそのうち」が流れて出てくるくらい僕の身体の中にはそれらが充満していた。

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僕の人生の砂時計

話はちょっと飛ぶけど、以前の僕。癌が発覚する前の僕は自分の人生の時間は永遠とほぼ同義くらいにまだ残されていると勘違いしていた錯覚していた。

そういう幻想を見ていた。

40歳を過ぎて日本人の平均余命のおよそ半分を生きて、折り返し地点(今思うとゴール目前なのかも)を過ぎたのにも関わらずその幻想の真っただ中にいた。

でもステージ4の癌を宣告され、その勘違いも幻想もすっかり吹き飛んでしまった。 

代わりに見えてきたのが僕の人生の砂時計。 

オギャーと生まれたその瞬間からその砂時計はひっくり返され、時間の経過とともに砂粒を落としてきた。

「寿命」という名の砂粒を。

おそらく僕の砂時計に残っている砂粒はもう残りわずかだろう。

たっぷりあるとは言えないし、今残ってる砂粒もこれから落ちていくスピードが一気に速まるかもしれないし、ゆるやかになるかもしれない。

とにかくもう僕にはそんなにたくさんの時間は残されてはいない。

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物事を先送りにしてしまう性質

話を戻して「いずれそのうち、いつかそのうち」のやっかいなところは物事を先送りにしてしまうという性質がある。

「時間ができたらいずれやろう」

「もう少し落ち着いたらそのうちにやろう」

これまでの僕の人生の中で取り組まなくてはならない課題はたくさんあったのに今までいずれそのうち、いつかそのうちと先送りにしてばかりだった。

 

自分の人生としっかりと向き合わなくてはいけない→いつかそのうち…

自分の生まれてきた意味をしっかり考えなくちゃいけない→いずれそのうち…

本当にやりたいことは何なのか見つけ出さなくちゃいけない→いつかそのうち…

 

いつかいずれいつかいずれいつかいずれ…

 

死んじゃう死んじゃう。

 

そんなこと言ってるうちに先送りにしたままで何にも手をつけず、何もしないままで死んでしまうよ、僕は。

もしも癌になってなかったら、もっと歳をとってからこのことに気づいていたのだろうか。

その時何かの行動を起こそうとするのだろうか。

それとも残りの人生が残り少ないと絶望し打ちひしがれ、今まで先送りばかりしてきた自分自身を呪うのだろうか。

「こんなジジイに何ができる、何も出来るものか!」と世をすねるのだろうか 。

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生まれてこのかた何十年とかけて自分の身体の中に浸潤した「いずれそのうち、いつかそのうち」はある意味癌細胞より厄介だ。

僕はこの「いずれそのうち、いつかそのうち」を癌細胞より先に自分の中から追い出したい。

もう「いずれそのうち、いつかそのうち」なんて言ってる場合でもないし、そんな暇でもなくなったのだから。

 

このことに気付いたのも言ってみれば癌のおかげなのかもしれない。

しかしこの「癌」というものは人生を変えたり、さまざまな気付きをもたらしてくれる一方でヘタをすれば命を落としかねない劇薬だ。

 

そんな劇薬を飲まなければ大事なことに気付くことができない自分を少しだけ情けなく思う。

なんにせよすぐに行動に移すクセをつけないと。

 

さあ立ち上がれ、歩き出せ自分よ。

 

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