44歳の僕がステージ4の大腸がんと診断されて

2016年大腸がん発覚。手術後、腹膜への転移が確認されステージⅣだと告知される。その後半年間に及ぶベクティビックス抗がん剤治療を受ける。2018年12月がん再発。アバスチン抗がん剤治療を受ける。48歳になりました。

今日から2クール目の抗がん剤治療のため3日間入院する【がん闘病記41】

この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2016年の7月下旬ごろに書いたメモをまとめています。

入院患者が多すぎてベッドが空かない

2016年7月。

今日からまた抗がん剤の投薬で3日間の入院をするためにいつもの総合病院に来ている。(2クール目)

予定としてはまず最初に血液検査。

その後で担当医のウエノ先生による問診。

そして血液検査の結果から血液の数値が化学療法を開始して問題が無い範囲内であれば病棟に上がって抗がん剤治療を開始する。ということになっているが、採血した後長い間待たされている。

というのも今はちょうど僕が入院予定の病棟が入院患者さんでいっぱいでベッドの空きが無く、どうなるか分からない状態にあるらしい。

もしかしたら今回の入院は延期になるのかもしれない。

治療計画が狂うのは良くないことだが、僕としては抗がん剤は苦しいのでできれば延期になって欲しい。

 

待ってる間、ちょっと離れたところでは別の患者さんと看護師さんがベッドの空き状況について話をしている。

揉めている。といったほどではないが割と切迫した雰囲気で話をしていたから今日はよっぽど混雑しているんだろう。

 

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腫瘍マーカーの数値は範囲内

1時間以上待ってからようやく呼ばれて問診を受ける。

ウエノ先生の話によると血液検査の結果は抗がん剤治療を始めてもいい範囲内の数値らしい。

もしも血液検査で白血球などの数値が低いと抗がん剤治療を見送らないといけない場合もあるそうだ。

それと癌細胞があるときに「腫瘍マーカー」という数値が高くなったりする場合があるのだけど、今回の採血ではこの数値が範囲内だそうで、この「範囲内」とか「安定している」みたいなポジティブな言葉を聞けるのは嬉しい。

大腸がんの摘出手術をする前、腫瘍マーカーはかなり異常な数値らしかったので。

(※腫瘍マーカーとは癌の種類によっては癌細胞が体液中に測定可能な特徴的な物質を生成することがあり、その血液中の数値を測定するもの)

 

問診を受けた後もしばらく待っているとベッドの都合がなんとかついたのか、病棟に上がることに。

しかし今回はこれまで入院していた5階病棟ではなく、4階の病棟に入院することになった。

4階といえば産婦人科とか小児科だったような気がするけど混雑しているのだからそんなことを気にしている場合じゃない。

 

とっさに老夫婦の車椅子を押す

入院の準備ができるまでロビーで待ってると僕が座っている目の前を車椅子が通ろうとしているのに気が付いた。

顔を上げ見てみると車椅子を押しているのは70代くらいの年配の女性で片手では旦那さんであろう年配の男性が乗った車椅子を押し、もう片方の手で自分のカートを押している。

 

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僕はすぐさま立ち上がってお婆さんに近づいて声をかける。

「押しましょうか?どちらまで行かれますか?」

「まあー、有難うございます。玄関までです」

車椅子を押す手を代わり、お婆さんがついてきてるか確認しつつ玄関ロビーまで車椅子をゆっくり押していく。

ほどなくして玄関ロビーに到着。

「お兄さんありがとうございました、助かりました」

「いえ、差しでがましいことをしました、どうかお気をつけて」

頭を下げその場をあとにしてさっきまでいた待合ロビーに戻った。

 

この行為は一見はたから見ればただ単に僕が車椅子の老夫婦に親切をした、老夫婦に僕の善意を見せたように見えるけれど僕の方が多くのものを受け取らせていただいたと思う。

今回僕は自分の意図を人目を気にすることなく通すことができた。

「車椅子を押す手を変わってあげたい。手伝いたい」という感情に反射的に行動することができた。

先日の旅行で大阪の電車内で見かけた大声を出して老人に席を譲る中年男性のように。

彼と似たようなことができてうれしかった。

暖かい気持ちになれた。

お礼を言われて役に立つことができたと実感できた。

だから受け取ったのは僕の方なんです。

 

小さな子が点滴台を押して歩く姿に胸を打たれる

待合ロビーに戻り待つこと数分、「準備ができましたので病棟にご案内します」と看護師さんと4階の病棟に上がり4人部屋の病室へ案内される。

今回も窓際だ。 よかった。

ゴソゴソと荷物を広げたあと1階のコンビニに行こうと部屋を出ると6歳くらいの小さな少年が自分と繋がっている点滴の台を押しながら廊下をヨロヨロと力なく歩いているところに出くわす。

点滴台には大きな機械もついていて少年の病状の深刻さを容易に想像させる。 

側には心配そうに少年を見守る若いお父さんとお母さんであろう女性が少年の目線まで腰を落とし「えらいね、がんばったね」と励ましている。

 

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なんということだろう、こんな小さな少年が今まさに病魔と闘っている。

そのけなげな姿に胸が熱くなる。震える。

この少年も僕と同様に死の恐怖に焼かれているのだろうか。

泣きだし崩れ落ちそうになるその両足を踏ん張って立っているのだろうか。

そう思うと涙が出そうになるほどの勇気をその少年からもらっていることに気付く。

 

どうか少しでもいい方向に向かいますように。良くなりますように。

離れた場所からその家族を見ながら心の中でそう思った。 

ありがとう少年。 その姿は君を見る全ての人たちに熱い勇気を与えてくれるだろう。

 

2クール目のベクティビックス抗がん剤の点滴開始

今回の点滴は12:30くらいにスタートした。

おそらく終わるのは48時間後。明後日の夕方くらい。

僕がいる病室は小児科病棟だけど同室の人は年配の男性ばかりだ。

みんなあぶれたのかな? 外からは時々子供の泣き叫ぶ声が聞こえる。

ここ4階は小児科や産婦人科が主なので子供の泣き声は当たり前なんだろう。

贅沢は言っていられない。

 

思い起こせば僕が最後にあのようにして感情を爆発させて泣き叫んだのはいつのことだろう。
もう思い出せないくらい昔のことだけど感情の渦の中もみくちゃされながら自分のコントロールを完全に失って涙を流し感情を吐き出していたことは思い出せる。

今泣き叫んでいる子もきっとそんな感じなんだろうな。

そしてすっかり感情を吐き出してしまえばあとは割とスッキリするもんだ。

大人になってしまった今の僕にはその手法は使えない。

ステージ4の癌を告知されて死が目前に迫ってきた今こそ感情を爆発させて涙と一緒に不安や恐怖を吐き出してしまいたいのに。

  

そうこうしているうちに点滴が始まって1時間ほど経った。

前のこともあるしあまり神経質にならないでおこうと思う。

なんだかんだで結局はプラシーボ(思い込み・気のせい)だったなんてことあるので。