44歳の僕がステージ4の大腸がんと診断されて

2016年大腸がん発覚。手術後、腹膜への転移が確認されステージⅣだと告知される。その後半年間に及ぶベクティビックス抗がん剤治療を受ける。2018年12月がん再発。アバスチン抗がん剤治療を受ける。48歳になりました。

抗がん剤治投薬中に新たな副作用が出たことと「感謝」について考えてみたこと【がん闘病記43】

この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2016年の7月下旬ごろに書いたメモをまとめています。

2クール目の抗がん剤治療入院2日目

2016年7月。 

入院初日の昨晩は消灯時間を過ぎて早めに睡眠導入剤(ゾピクロン)を飲んで寝たので今日の目覚めは早かった。

早朝5時半には目が覚めたが気分的に前ほどの落ち込みは無く、精神的には安定している気がする。

輸液ポンプのエラー音

夜の間の出来事として、何度か点滴を供給するポンプのような機械(輸液ポンプ)から発せられるエラー音で起こされた。 

寝る時の姿勢によっては点滴の管が折れ曲がったりして点滴が入っていかずエラー音が鳴るみたいだ。

その度にナースコールをして看護師さんを呼んでエラー解除してもらわなくてはならいので同室の皆さんには大変ご迷惑をかけて申し訳なく思う。

 

でもまあそんなことがあっても睡眠は割と十分取れたので気分的はいいほうだ。

体調の方も倦怠感はないし、前回はさんざん苦しめられた下痢の症状ものまだ出ていない。

前回、1クール目のときも思ったが抗がん剤投与中はこれといって副作用の症状は出ない。

あくまで「気のせいレベル」

初めて大腸癌の抗がん剤治療、1クール目の時はいつどんな副作用の症状が出るのか分からなかったのでやたらと不安だった。

大げさな話、点滴をのしずくがポタリと落ちた瞬間からゲーゲー吐いてしまうんじゃないかと思ってたくらいだったので。

 

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新たな副作用が発症する

時刻は昼過ぎ。

食後の散歩を兼ねて病院内にある一階のコンビニへ点滴台を押しながらコーヒーを買いに行く。

棚に陳列してある冷たいコーヒーを手に取った瞬間、手のひらにピリリとした軽い痛みが走る。

 

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痛さとしては軽めの静電気がピリッと走るようなそんな感覚。

「いてて…あー言ってたのこれかあ…」

以前、薬剤師さんの説明で抗がん剤の副作用で手足のしびれから冷たいものなどが持ちにくくなるという説明を聞いていた。

冷たいペットボトルや冬場の冷えた鉄製の手すりなどを持つと手が痺れて持ちにくいなんて聞いていたけど実際に自分で経験してみるまでは分からなかった。 

前回の1クール目の抗がん剤治療では出なかった新たな副作用なので少し動揺する。

試しに反対の右手で冷たいコーヒーを握ってみたが右手はそうでもない。

手足のしびれが出つつあるのか、と心配になるが神経質になりすぎてもいけない。

経過を見守ろう。

抗がん剤のパンフレットを見ると、しびれの原因はマグネシウム、カリウム、カルシウム不足らしい。

その点も意識して栄養補給できればと思う。

夜になると副作用のつらさが増す 

夕刻、夕食の配膳が始まるころ、倦怠感が始まったような気がする。

併せて吐き気も少しある。

夕食は食べたくないなあ… 今回はもう食い意地勝負なんてやめて消化のいいものを少しづつ食べれる範囲内で食べよう。

どうにも気持ち悪い。今まで体験したことがない気持ち悪さだ。

夕食も出されたメニューのひと口づつしかたべれなかった。

まだ2クール目の抗がん剤を全部投与しないうちに来るなんて。

これが回を追うごとにひどくなるということなのか。

2回目でこんななら先が思いやられるなあ。

 

感謝とは

夕食のあと瞑想をする。

瞑想といっても本格的なものじゃなくベッドの上に座って目を閉じ、呼吸に意識を向けて心静かにするだけだけど。

瞑想をしているとなんだか楽になってくるような気がする。

プラシーボ効果(思い込み、気のせい)でもなんでもいい、ちょっとでも楽になるならそれに越したことはない。

 

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瞑想のあと、ふとこんなことを思う。

「感謝しなさい」

「感謝しないといけないよ」

こんなことを子供の頃から多くの大人たちから言われてきた。

本、音楽、テレビなどのメディアからも度々同様のメッセージが発信され、それらをなんとなく受け取っていた。 

感謝とはどういうことだろう 

ここでちょっと考えてみる。 

そもそも感謝するってどういうことだろう?

感謝したほうがしないよりもいいってことは感覚的には分かる。

でも「感謝しなさい」と言われて「はい、します」とできるものだろうか。

 

「立ちなさい」→ はい、立てます。

「走りなさい」→ はい、走れます。

これは簡単にできる。

 

「泣きなさい」→ 悲しかったら…

「笑いなさい」→ 面白かったら…

「眠りなさい」→ 眠かったら…

うーん、これは時と場合によるかなあ。

 

「感謝しなさい」はどちらかというと後者に近いと思う。

自分で意図的にコントロールするものではなく反応とか反射に近いもの。

頭を下げ、感謝してますよーってポーズだけならむしろ前者だ。

本当の感謝とは

では本当の感謝ってなんだろう。

僕が思うに、それは乾いた大地から湧き水が染み出てくるように心の底から湧き出てくるもの。

情動。

抑えきれない、コントロール不可なもの。

そういうものじゃないかなと思う。

だから人から強制されたり他人にうながされてどうこうできるものでもないんじゃないかな。

どうすれば心から感謝できるようになるのか

ではどうすれば心からの感謝ができるようになるのだろうか。

この「どうすれば」というニュアンス自体に少しコントロールの意味合いが入っているような気もするが、個人的な僕の考えとしては無理にすることはないと思うしコントロール不能なものについて右往左往してもしょうがないんじゃないかと思う。

 

例えば、たいして眠くもないのに明日早起きしないといけないから眠らなきゃ眠らなきゃって頑張れば頑張るほどかえって眠れなくなるように。

 

「理性的に考えるんじゃなくて感じるんだよ」

なんてこと言う人もいるけど、どういうことかよく分からなかった。

でも、僕は大腸癌が発覚していろんなことを考えるうち、本当のところ「心はいつも感謝の声を発しているんじゃないか」と思うようになった。

その声はか細く小さいうえに、自分の価値観やプライド、社会的な観念などのさまざまなものにじゃまをされ、いつもかき消されてしまっていた。

 

 

心はいつも感謝していた。

その心の奥底からの声を無視していたのは他ならぬ僕自身だった。

僕はがん進行度ステージ4の大腸癌を告知され、最初にやって来た「死の恐怖」という津波のような真っ黒な大波にこれまでの僕の価値観やプライド、観念はことごとく押し流されてしまった。

圧倒的な力で薙ぎ払われるようにもぎ取られはぎとられていった。

翻弄され続けた心

しばらくその大波にもみくちゃにされ翻弄され続けた。

この一歩足を踏み外せば奈落に落ちてしまう断崖絶壁に立たされているような苦しみが永遠に続くのかとさえ思われたが、時間の経過とともに波は少しづつゆっくりとではあるが次第に勢いを弱めて引いていった。

そのあとに僕の心の中に残ったのは何もない、孤独に乾いた大地だった。

さみしかった。とにかく孤独だった。

この世界のすべてとお別れしなくてはいけない。すべての関わりは断絶され、真っ暗な暗闇の中でたった一人になってしまう。そんな孤独感を感じていた。

何もなくなった灰色の空の下 

何もなくなった僕の心は灰色だった。

その灰色の空の下、乾いた大地に一人立ち孤独にさらされ震える中で僕はさまざまな人々との関わりや、この世界との関わりに対して僕の心が発するかすかに小さな感謝の声を聞くことができた。

声というか反応?振動のようなもの?

心の震えとでも言えばいいのか振動して鳴る音叉のようなもの。

その声をさえぎっていた僕の中の価値観やプライド、固定観念というフィルターがなくなったおかげで僕はその声に気付くことができた。 

「こんなことは当然だ」

「あたりまえのことだ」

「たいしたことないことだ」

「なんでもないことだ」

このようなノイズ、雑音にさえぎられてその声を聞くことができなかった。

心はいつも震えていた。反応していたのに僕の凝り固まった価値観やプライドが発する声の方が大きすぎて聞くことができなかった。その存在を意識することさえ無かった。

 

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ありがとうと言いたい

心はいつも反応していた。

あらゆる人、モノ、こと、に。

ありがたいなと思っていた。

注意深く観察すれば心が震えていることに気づく。反応していることに気付く。

 

僕はその声に震える。

感謝の声に震える。

乾いた大地のひび割れから美しい清く澄んだ水が湧き上がってくるような気がする。

孤独に立ち尽くす僕の足元を暖かいその水がくすぐるように包んでいく。

これが感謝というものなんだなあと、心が嬉しくなっていく。

 

心は全てのことに感謝していた。この世界の大きなこと小さなこと、重要なこと些細なこと、高いこと低いこと、長いこと短いこと、その全てに反応していた。反応していないものなど無かった。

 

道端ですれ違う見ず知らずの人。

陽光織りなす空の色。

やさしく頬なでる風の匂い。

雑踏や喧騒。

木漏れ日とともに揺れる木々。

遠くから聞こえる子供たちの笑い声。

暗い夜道を穏やかに照らす錆びた街灯。

親しい人たちから投げられた言葉。

やさしく響き打つ言葉。 

 

「死の恐怖」にさらされて初めて気付くなんて情けないことだと思うけど、僕はこの優しい世界にありがとうと言いたい。

 

そしてありがとうと僕の心にも言いたい。

感謝の声を届けてくれて。

僕に感謝を感じさせてくれて。

 

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