3クール目の抗がん剤投薬後の副作用と期待と失望のサイクル【がん闘病記51】
この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2016年の8月中旬ごろに書いたメモをまとめています。
期待しては失望するというサイクルの繰り返し
2016年8月。
3クール目の抗がん剤投薬後から8日経過
副作用としては
下痢が酷く、それに伴い倦怠感も増してきている。
つらさ度の自己判定の目安は6くらいだろうか。
舌の感覚も痺れたままなので何を食べてもおいしくない。
今日はお盆休みということで親戚一同集まってみんなで焼き肉を食べに行ったのだけど、ただつらいだけだった。
お肉を食べてもあまりおいしいと感じない。
おいしいと感じないので飲み込みたくないのか、いつまでも口の中で噛み続けていた。
なので余計に疲れてしまった。
4日後にはまた化学療法が始まる。
息つく暇もない。
僕が心の奥底で信じていること
どうやら僕はこのまま癌が悪化して自分が病死してしまうってことを心の奥底では信じているようだ。
表層意識というか意識の最前線に立っている理性的な自分自身、今まさに思考している僕の考えは「このままなんとか癌を抑えつつ長いこと生きていく」というポジティブな結果を信じようとしている。
でも心の奥底にある一番深いところでは最悪のシナリオの方を信じている気がする。
最悪な事態を想定したシーンが脳裏をチラチラとかすめては消えていくことに抗うことができない。
- どんな治療方法も効果がなくなる。
- 病室で苦しみながら息絶える僕の姿。
- 葬儀で焼香をする人たち。
そんなシーンばかり想像してしまう。
なぜ僕はネガティブなシナリオの方を固く信じているのだろうか。
その原因の一つとして今までの人生の中で期待と失望のサイクルを繰り返しつづけてきたせいじゃないかなと思う。
期待と失望のサイクル
これまで40数年という人生を生きてきて、あまりにも多くの期待と失望のサイクルをこなしてきた。
そのためネガティブな観念というか信念とでも言うべき思いが心の奥の方にしっかりと根付いている気がする。
その観念とは「期待はいずれ失望に変わる」というもの。
期待と失望のサイクル。
僕は日常的にこの輪の中をぐるぐる回っている。
ネガティブなことに対してもポジティブなことに対しても常に期待を持って行動していた。
いつでも僕は期待をしていた。
成功するといいな…
美味しかったらいいな…
間に合ったらいいな…、
うまく出会えたらいいな…
雨止むといいな…
たいしたトラブルじゃなかったらいいな…
命に別条がなかったらいいな…
ネガティブな事柄に対してはより軽度なネガティブな結果になるように期待し、またはポジティブな結果に転じるように期待する。
たとえば怪我をしてしまったときは「骨折でなければいいな…」という期待。
ポジティブな事柄に対してはよりポジティブな結果になるように、またはポジティブなことがネガティブなことに転じ無いように期待する。
たとえば仕事で大きな契約が取れたときは「追加で新たな契約が取れればいいな…」または「いきなりキャンセルにならなければいいな…」という期待のように。
期待をするということを手放せないでいる自分
心はいつも期待していた。
そしてその大多数の期待が行きつく先は失望や絶望だった。
もちろん期待して期待通りの結果になることもあるけど「人生は思い通りにはいかない」とはよくいったもので頻度としては失望する方が多い気がする。
期待しては失望し、期待しては絶望する。
その繰り返し。
何度となく期待と失望を繰り返しても期待することをやめることはできなかった。
「期待を完全に手放す」ということは悟りの境地にでも達しない限りは抗えないんじゃないかなと思う。
あまりにも多くの期待と失望のサイクルをこなしてきたので
「自分の期待はきっと失望に変わる」
ということが、その観念が、習慣や癖といったレベルより「反射」といっていいほどに深層意識の奥の方に刷り込まれている。
これは心の防衛本能でもある。
「期待しすぎるとその期待が裏切られたときのダメージが大きい」
そうやって心が身構えている。
「きっとうまくいく。大丈夫だ」
と、頭で理性で考えてみても
「どうせまたダメだろう…」
と、心の奥底では失望する結果を予測して身構えてしまう。
僕の心は何を恐れて何に身構えているのだろう?
「自分は生き続けることができる」という期待が裏切られて失望に変わること。
その期待が裏切られたときは本当の絶望が待っている。
自分自身の肉体の継続性、連続性の破綻。
断裂、断絶、消失、苦しみ、悲しみ。
絶望の先にはそれらが待っている。
それらが待っていることを予測して、またその予測に恐れている。
そして万が一その恐れに絶望に晒られたときにダメージが少ないように身構えている。
その反復がまるで小さな振動のように心の奥の方で震えている。
広い寒空の下、置き去りにされた子犬のように震えている。
「恐怖を克服する」ということは突き詰めて考えれば「期待を手放す」ということなのかもしれない。
僕は今、自分の命が終わってしまうことが恐ろしくてたまらない。
抗がん剤の副作用は予想通りにいかない
3クール目の抗がん剤投薬後から9日経過
夜になって下痢の方はおさまってきたけど倦怠感はおさまることなく相変わらず酷い。
10を最大とした「つらさ度の目安」はひどいときでは7くらいある。
過去2回の抗がん剤治療では投薬後9日を過ぎたこの時期は副作用は無くなりかけていたのに今回は最初の方が軽めで日がたつにつれつらくなるパターンだ。
ホントに化学療法の副作用は一筋縄ではいかない。
予想外のパターンに混乱してしまう。
舌がしびれたまんまなので何を食べてもおいしくない。
食べることがめんどくさくなってきている。
倦怠感で何もやる気が起きなくてつらい。
癌ブログの管理人が亡くなっているとショックを受ける
3クール目の抗がん剤投薬後から10日経過
おさまったと思った下痢がまたひどくなる。
おさまったのは昨日の夜だけだった。
舌の感覚は少しはマシになって味覚が戻りつつあるけどまだ違和感は残る。
倦怠感のつらさ度は6くらい。
指先のひび割れも相変わらず。
今日は久しぶりに部屋の掃除をするためエアコンを止めて窓を開けて掃除をし、ついでにネットで注文していた本棚を組み立てた。
その時に汗が尋常じゃなく出ていることに気が付く。
まるでサウナに入ってる時のように滝のように汗が流れ出る。
この異常な汗も抗がん剤の影響なのかな?
しかも倦怠感があるので作業も休み休みしかできない。
明後日にはまた抗がん剤治療が始まる。
抗がん剤の影響が色濃く残るまま4クール目の投薬が始まりそうだ。
つらさの上にまたつらさが重なってくる感じがして今から気が重い。
でも、勘違いしがちだが、このつらさの源泉は抗がん剤からくるものであって癌そのものではない。
でも副作用の苦しさゆえに、癌が僕を苦しめているような感覚になってしまう。
誤解だ。
強い薬品を投与されているからつらいのであって、癌はまだ何もしてない(と思う)考えてみると原始的な治療方法なのかもしれない。
癌だけに特定できず他の細胞まで破壊してしまうこの治療方法は。
癌ブログは恐ろしい
癌関連のブログの見るのは恐ろしいことだとつくづく分かった。
なぜか?
多くの方が亡くなってしまっている。
「主人は今日旅立ちました」
「苦しみから解放されました」
そんな文言から始まるご家族の代筆で締めくくられ、ブログの更新はそこで止まっている。
今日見てきたブログは僕と同じ大腸がんに罹患(りかん)された男性で同じベクティビックスという抗がん剤を使い、同じ腹膜播種(ふくまくはしゅ)という症状が出ていた人だった。
最後には奥さんの代筆でご主人が旅立った旨の報告があり、ブログの更新は既に止まっていた。
その最後が自分に重なる。
たとえば戦場に出てた兵士たちが敵の攻撃を受けつつ進軍してたら、いきなり横に並んでた仲間が撃たれたような気持ち。
次は自分の番かもしれない次は自分の番かもしれない次は次は…
しばらく僕の中で遠ざかっていた「最悪のシナリオ」がすぐ間近に迫ってきている気がする。
恐ろしい。
怖い。
助けてほしい。
誰か助けてほしい。
この悲しみ恐怖から誰か助けてほしい。
僕はまだ生きていたい。
こんな期待を手放さずにいることは厚かましく図々しいことなのだろうか。
雪だるま式に増える「副作用」という負債
3クール目の抗がん剤投薬後から11日経過
副作用としては
- 倦怠感が8くらい。
- 下痢
- 指先のひび割れ
- 食欲不振
- 舌の感覚がおかしい
などがある。
明日からまた入院して4クール目の抗がん剤治療が始まるというのに副作用が酷いまま。
このままのペースでいくとこれから先、抗がん剤治療中はずっと元気な時がなくなってしまうことになる。
そればかりか「副作用という負債」が回数をかさねるごとに複利で雪だるま式に増えていくような感じがしている。
こんな状態があと半年間くらい続くとなると絶望的な気持ちになってしまう。
でも、これまでの経験上この苦しみの中心に居続けることは無いということは分かっている。
済んでしまえば、振り返ってみれば笑って済ませられることだってことも理性的には分かっている。
ネガティブなことばかり考えて気持ちを落ち込ませていてもしょうがないので、この状況のなか考えられるポジティブなことは何だろう?と考えてみる。
こんな状況下でも考えられるポジティブなこととは?
うれしいと思ったことは?
よかったと思ったことは?
安心できることは?
気持ちがいいと思ったことは?
- この暑いさなか日中仕事しなくて済む。
- じっとしてれば意外と平気。
- 気持ち悪くてもフルーツなど食べられるものはある。
- この際だからまだ読んでない本とか読んでしまおう。
- 保険があるから当分はお金の心配はしなくて済む。
- 仕事、家事などその他の雑事をあまり考えずに病気のことだけに集中できる。
こう考えると僕は比較的幸せな癌患者なのかもしれない。
そう思うと少しだけ気が楽になる。
いや、楽になったよ。
僕は苦しいけど幸せなんだ。
恵まれている癌患者なんだ。
それなのに泣き言を言うのは厚かましくて図々しいことなんじゃないかな。