抗がん剤治療が終わっても尾を引く副作用で身体中がかゆいが、精神的には落ち着いてきた【がん闘病記111】
この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2017年の1月下旬に書いたメモをまとめています。
抗がん剤の副作用から身体中がかゆくなる
2017年1月。
12クール目の抗がん剤投薬後から15日経過
痛い。
身体中が痛い。
痛いというのは身体の中でも内臓疾患でもなく身体の表面。肌の部分。
なぜこんなことになってしまったかというと、最近抗がん剤の副作用のせいでかゆみが酷くなり、身体中かきむしったせいで身体中傷だらけになってしまったからだ。
あまりにもかゆい。
眠れないほどにかゆい。
そのかゆさに我慢ができないのでつい強くかきむしってしまい、爪でひっかいたひっかき傷からポツポツと血が出るから僕の肌着はいつも血だらけになってしまっている。
爪もボロボロだ。
かゆみだけではなく12回の抗がん剤治療終了から2週間以上たった今でもその副作用から抜けきることはできず指先は痺れたままだし、親指も爪の根元はまだ黒ずんだままだし、舌の感覚もまだおかしいままだ。
今までは抗がん剤治療から2週間も経過すればいくぶん症状は和らいできていたものだが今回は回復の度合いがいつもより遅い気がする。
やはり12回もやったんだ、そう簡単には回復しないのかもしれない。
PET検査の結果が良かったので精神的には落ち着いてきた
しかし体調とはうらはらに、精神的に今はとても落ち着いている。
理由としては先日受けたPETCT検査の結果から、今のところ癌の再発や転移が見つかっていないということで、今後は抗がん剤治療を終了し1か月ごとの経過観察をしていくということになったからだ。
気持ち的には二重の意味で安心したというかほっとしている。
ひとつは追加の抗がん剤治療をしなくていいということ、もうひとつは今まで癌によって身近に感じていた「死」というものがとりあえずは遠ざかっていったこと。
もう抗がん剤をやらなくていいのでほっとしている
抗がん剤は随分と僕の身体を痛めつけてくれた。
髪の毛は七割くらいが抜け落ち、
肌は全体的にどす黒く黒ずんで至る所に湿疹ができてかゆくなり、
指先の皮膚はひび割れ出血し、指の爪の周りはささくれだち、
便秘と下痢を繰り返し、時折腹痛にみまわれ、
食欲不振と吐き気と舌の痺れから食事があまりできなくなり、
75㎏以上あった体重は60㎏以下まで落ち込み、
それに伴って体力も著しく低下した。
細かいところをあげればまだあるのかもしれないけど、抗がん剤は僕を死なない程度に程よく痛めつけてくれたと思う。
もし、こんなことがまた繰り返されると思うと恐ろしくてたまらなかった。
そんな苦しい日々をもう過ごさないでいいと思うとほっとする。
加えて抗がん剤治療のために入院しなくていいというのもうれしい。
これまで抗がん剤治療では毎回二泊三日の入院をしていた。
医師の話によると入院して抗がん剤治療を受ける方法と、入院せずに外来で病院に通うカタチで抗がん剤治療を受ける方法とどちらでも選べるということだった。
僕としては入院したほうが「がん保険」や生命保険の医療特約から入院給付金が受け取れるし、いざというときには医師や看護師のサポートがすぐに受けられるほうがいいと思ったので入院して抗がん剤治療を受けることにした。
ただし入院することでのデメリットもある。
たかだか3日間とはいえ、やはり入院していると家に居る時と比べて不自由だし、何より病院というか病室特有の匂いでいつも気が滅入っていた。
普段なら特に気にするようなことでもないとは思うが、抗がん剤の副作用からか通常よりも匂いに対して敏感になっていたからだ。
特に炊き立てのご飯の匂いとか揚げ物の油の匂いとかは嗅ぐと吐き気がして気分が悪くなったものだ。
病院自体が消毒液やその他の薬品などが混ざったような独特の匂いがある。
加えて4人部屋等の大部屋では配膳の時間にみんながいっせいに食事をとるので他の患者さんの食事する匂いで気分が悪くなっていた。
それに抗がん剤を体内に入れていくとやはり気分は悪くなっていく。
吐き気に伴って倦怠感も増してきて、抗がん剤の点滴が終わることにはいつもフラフラになっていた。
だから入院生活に対してあまりいい印象はないし、できれば今後もゴメンこうむりたい。
身近に感じていた死の恐怖が少し遠ざかったようでほっとする
もうひとつ、癌によって僕のすぐ近くで見え隠れしていた「死の恐怖」というものがいったんは遠ざかってくれたというのもほっとできた要因の一つ。
PETCT検査の結果を聞く前、担当医のウエノ先生の答え如何で僕の生死は決まるといっても過言ではなかった。
最悪、死に至ることはないにせよ、癌の転移の状況ではまた身体の一部を切り取らないといけない状況になるかもしれない。
それが内臓の一部なのか腕の一部なのか脚の一部なのか、もしそういう状況になったらどうしよう…
そんなことをぐちぐち考えては一人で勝手に怯え、恐怖し、恐れおののいて震えていた。
そしてやはり最も恐ろしかったのは自身に訪れるかもしれない「死」だった。
恐怖の源泉、その源にはいつも「死」が存在している。
なぜ高いところが怖いのか?
落ちたら死ぬから。
なぜお化けや幽霊が怖いのか?
正体の分からないものに呪い殺されると思うから。
なぜ癌が怖いのか?
癌が原因で亡くなってる人をたくさん見てきたし、癌は自分を殺すものだと強く信じているから。
その最も恐ろしかった「死」が、ステージ4の大腸がんを告知されてからいつも身近に感じていた「人生の終わり」が、とりあえずは僕から遠く離れていってくれたような気がしてほっとした。
もしかしたらこれはぬか喜びになるのかもしれない。
再発の可能性が完全に無いわけでもない。
死が遠ざかったということ自体が幻想なのかもしれない。
でも今ひと時はこの安堵に浸っていたい。
たとえ束の間の安堵であったとしても。