アバスチン抗がん剤3クール目の投薬後6日目~12日目までの体調と映画「ボヘミアン・ラプソデイ」見て泣く
この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2019年の2月上旬に書いたメモをまとめています。
アバスチン抗がん剤3クール目の投薬後6日目~8日目
2019年2月。
アバスチン抗がん剤3クール目の投薬後6日目
ケトン値は+/-~+。
ケトン値とは専用の試験紙で尿中のケトン体を測定した数値で、「免疫栄養ケトン食」を実践している僕は毎朝その数値を測定している。 (+が多いほどケトン体が出ている)
朝の時点での体調は良く元気になってきた。少しだけ警戒していた下痢の症状は出ず、午前中と午後にトイレに行ったが普通の排便だった。
昼食には
- プレーンオムレツ
- ブランパンを1つ
- 昨日の残りの玄米おじや
夕食には
- 牛ロース塩焼きを少し
- 昨日のアヒージョの残り
- とブランパンを1つ
を食べた。
そして筋トレも少しだけ再開した。この調子なら明日はもっと運動もできるかもしれない。頑張って体調を戻していこうと思う。
自覚できる副作用としては
- 鼻をかんだときにティッシュに血が混じる(微量)
3クール目のアバスチン抗がん剤投薬後7日目
ケトン値は+くらい。
体調は良い。下痢もなく朝の時点でトイレに行ったら普通の排便だった。体調的には抗がん剤を受ける前の状態にかなり近づいたといってもいいかもしれない。
食事も普通にとることができるようになったし、かなり元気になってきたと思う。自覚できる副作用としてもほとんどなくなった。昨日から筋トレも再開したし、散歩に出た時も普通に歩くのではなく、ちょっと小走りに走るようにして運動の負荷を上げた。
基本的に朝は食べないで昼食と夕食の2食だけど、普通に食べれるようになってきた。
昼食には
- プレーンオムレツ
- ブランパン
- 玄米とキャベツのみじん切りを使ったリゾット
夕食には
- アヒージョ
- マグロのお刺身
- キャベツと玉ねぎのサラダ
を食べた。
やはり普通に食べて出すことで元気を取り戻していけるのだと思う。
実際に今やっている抗がん剤が本当に聞いているのかどうか不安なところではあるが、次の抗がん剤に向けて体力を回復していこうと思う。
自覚できる副作用としては特に無し。
アバスチン抗がん剤3クール目の投薬後8日目
ケトン値は++くらい。
体温は36.3℃
今日から毎朝体温を測ることにした。体温が高い方が免疫力が上がるそうなので平熱で36.5℃くらいを目指していこうと思う。
体調はよく、自覚できる副作用はほとんどなし。
鼻をかんだときにティッシュに血が混じることもほとんどなくなった。
アバスチン抗がん剤3クール目の投薬後9日目~12日目
アバスチン抗がん剤3クール目の投薬後9日目
ケトン値は++くらい。
体温は36.2℃
体調の方は良好ですっかり元気になり、自覚できる副作用もほとんどなくなった。
投薬後9日目にしては前回と比べるとかなりいい方なのではと思う。
やっぱり元気なのは気持ちがいい。実にさわやかだ!
3クール目のアバスチン抗がん剤投薬後10日目
ケトン値は++。
体温は36.3℃
体温が高い方が免疫力が上がるようなので、できれば平熱の体温は36.5℃くらいまで上げたい。
自覚できる副作用はなく、体調は実に良好。
気分はさわやかだ。
アバスチン抗がん剤3クール目の投薬後11日目
ケトン値は+。
体温は36.1℃
自覚できる副作用は無いが、鼻の中に血が固まったものが少し残っている。わずかだがまだ抗がん剤の副作用の影響は残っているのかもしれないが体調は実に良好。気分はさわやかだ。
今日は博多まで母を連れて鍼灸に行ってきた。
鍼灸の先生に抗がん剤の副作用が前回と比べて軽いことを報告するととても喜んでくれていた。
僕は気づかなかったが鍼灸の先生が言うには足のむくみがだんだん取れてきているようで、むくみがあると血流が悪くなったりするので少なくとも良い傾向だと思う。
最近食欲も出てきたので食事は普通にできるようになったが、少し食べ過ぎのところもあると思う。腹八分目に気をつけて少なめに少なめに食事をとることを心がけなくてはいけない。
アバスチン抗がん剤3クール目の投薬後12日目
ケトン値は+。
体温は36.3℃
体調は良好で自覚できる副作用はほとんどないが、あいかわらず鼻の粘膜は弱いみたいで鼻をかんだときにたまにごく少量の血が混じる。
それと抗がん剤の副作用と関係があるかどうかは分からないが今日は少し下痢になった。もしかしたら食べ合わせが悪かったのかもしれない。
そして左足の指が少ししびれているような感じがする。この症状は昨日からなので他に原因があるのか抗がん剤の副作用なのかはちょっとよく分からないので次の抗がん剤治療で入院するときに先生に聞いてみよう。
映画「ボヘミアン・ラプソデイ」のセリフに衝撃を受ける
今日はイギリスのバンドQEENの自叙伝的映画「ボヘミアン・ラプソデイBohemianRhapsody」を見に行った。
すごくいい映画で、最後は感動のあまり涙が止まらなかった。
特に印象に残ったのはヴォーカルのフレディ・マーキュリーがエイズのキャリアであることをバンドメンバーに打ち明けたとき、フレディを気遣い慰めようとするメンバーの言葉をさえぎって言ったフレディの言葉で
「俺が何者であるかは俺自身が決める(I decide who I am.)」
これは衝撃を受けた。
正直しびれた。
悲劇のエイズの犠牲者として生きるのではなくパフォーマーでありたいという意思。残された時間をどう使うか、どうあるべきかは自分で決めるという決意であり覚悟のように思えた。
そうなんだ。自分自身が何者であるかは自分自身が選択することで決めることができる。このことは最近ぼんやりと考えていたことだった。
今の自分があるのはこれまで自分自身が選択してきた結果である。どんな選択であっても僕たちには往々にして「選択の自由」が与えられている。
自分自身で決めることができるし、一見、選択を強要されているようでも往々にして選択権は自分たちにある。
日常の中で行われる小さな小さなミリサイズ・ナノサイズの選択が今の自分自身を作り上げている。その選択のひとつひとつを見ればほんの小さなごくわずかなことなのかもしれない。しかしミリ単位でもナノ単位でもそれが何十何百何千と重なると大きく動いたことになる。
「雨だれ石をも穿つ」というが、長年の雨だれで一部がへこんだ庭石のように、落ちる雨粒一つ一つの力は小さいけれど、何十年とその石の一点に落ち続ければいつかはその石を穿つことができる。
がんを進行させないという選択。さらに言えばいつかは癌患者であることをやめるという選択もできるはずだ。すべては僕の選択、生き方、その所作にかかっているはずだ。
僕自身が何者であるか決めるのは他の誰でもない僕自身であり、その選択に責任を持つことも他でもない自分自身なのだから。