ゴールデンウイークと母の日のこと
ゴールデンウイークと母の日のこと
この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2019年の5月上旬に書いたメモをまとめています。ゴールデンウイーク中に遊びに来ていた子供らのこと、母に日のことなどについて書いています。
僕はさくちゃんに逆らえない
2019年5月。
ゴールデンウイーク中は岡山県から妹夫婦が3才の甥のハル君と、1才の姪のさくちゃんを連れて泊りがけで遊びに来てくれている。
お兄ちゃんのハル君は遊びに貪欲で、食べるのも寝るのも惜しんで遊びたいタイプで、家じゅうを走り回って元気いっぱいに遊んでいる。その溢れる生命力はまるでファイヤーボール・火の玉のようだ。
対して妹のさくちゃんは、どちらかというとクールに一人遊びするタイプで、お兄ちゃんが使っていないおもちゃにさりげなく近寄って、ひとりであそんでいる。妹が言うにはおとなしくて、あまり手がかからないらしい。
妹夫婦が去年の急な転勤で岡山県に引っ越すまでは、ちょくちょくうちに遊びに来ていたので、そのときはこの子らと一緒にあそんだりもしたが、久しぶりの再会とあってかハル君は僕のことを覚えていたが、さくちゃんは「だれこのおじさん」状態で僕に近づこうとはしなかった。
でも数日一緒に過ごした今では、さくちゃんは僕の姿を見つけると近寄ってくるようになった。その理由として、さくちゃんの中では僕のことを
「コイツは私をだっこしてウロウロしてくれるヤツだ」
という認識なのだと思う。
かくいう僕もさくちゃんには逆らえないでいる。
なぜならさくちゃんはあまり主張をしない。しないその姿がまたいじらしい。
お兄ちゃんのハル君は抱っこして欲しいときは、僕の足元で両手を広げて「抱っこしろアピール」をするが、さくちゃんはそんなことはせず、僕の足元までつたない足取りでやってきて僕の足にピトっとはりつく。
ただそれだけ。
その姿がなんだかいじらしくて、ついつい抱っこして家じゅうをウロウロしてしまう。
なんだかんだでさくちゃんのいいなりになっている僕だった。
姪のユイちゃんのお誕生日会におよばれした
今日は弟の娘、姪のユイちゃんのお誕生日会におよばれした。
弟夫婦には3人子供がいて、現在高3と高1の2人の息子と小6の娘が一人いる。
弟一家のルールで「子供らが中学にあがるまでは、親戚をみんな呼んで誕生日パーティーをしよう」というものがあり、今回は親戚みんなが集まってする姪のユイちゃんの最後の誕生日会に呼ばれた。
抗がん剤の投薬から数日が経ち、体調もまあまあ良かったので行くことにした。今回は僕と母に加えて、たまたまいいタイミングで帰省していた妹と3才の甥のハルくんと1才の姪のさくちゃんも一緒にパーティーに参加した。
みんなでごちそうを囲んでケーキにロウソクをつけてハッピーバースデーを歌って…と、とても楽しい幸せな時間だった。
幸せな時間のはずなのに、みんなの楽しそうな姿を見ながらなぜだか僕の心は暗く落ち込んでいた。
誕生日。
希望に満ち溢れ、未来に夢ふくらむきらきらとした日。
そのまぶしさに照らされた僕の人生の閉塞感が、その影が色濃くなっていくように感じて気持ちが暗くなる。
がん患者であり、再発が確認された自分には、もう未来はないのかもしれない。
そんな気持ちになり落ち込んでいる自分がいる。
そう考える一方で「ああ、今は気持ちが落ち込んでいるサイクルなんだな」と客観的に捉えることができている自分もいる。
気分が落ち込んだり回復したりすることは、これまでも何度もあった。
これは「波」なんだ。
落ち込むこともあるけれど、その中心に居続けることはかえって難しいってこともよく分かっている。だからこの気持ちが永遠に続くことはない。
きっと一晩眠れば明日には少しはマシになっているはずだ。
ゴールデンウイーク中は幸せのおすそ分けをもらった気がした
そんなこんなであっという間にゴールデンウィークも終わり、1週間うちに滞在していた妹一家は今日岡山県に帰ってしまった。
また母と2人。
家の中がなんだかやけに寂しい。
テンテケテンテン、テンテケテンテンと家の廊下を走り回るハル君の小さいけど元気な足音。
子供たちの笑い声。
しかられての泣き声。
喧騒、にぎやかな空気。
それらが一気になくなってしまい、家の中の空気がいっきに冷たくなたように感じる。
子供たちがいる時は、絵本を読んだりボールで遊んだりミニカーであそんだりと、いろいろ遊びに付き合ったりして、正直「めんどくさいなぁ」思うこともあったが、やはり彼らの可愛さ、笑顔は幸せな気持ちになれる源だった。
僕はこれまで結婚したことも無く子供もいないので、子育てがどんなに大変かは分からないけど「きっと大変なんだろうな」とは思うし、そのいっぽうで喜びもたくさんあるのだろうなと思う。
妹が子供らを連れてきてくることで、僕たちはその喜びをほんの少しをおすそ分けしてもらっていると思っている。
この世界でとてもとても大切なものに触れさせてもらっている。
やはりあの子らの笑顔は何物にも代えがたいものだ。
幸せを分けてもらってありがとう。
母の日のプレゼントでカ~ネ~ショ~ン
今日5月12日の日曜日は母の日なので、母に日ごろの感謝を込めてカーネーションの鉢植えを買ってきた。
しかし母は往々にして自分へのプレゼントにたいしてあまり喜んだりしない。
誕生日や母の日などに何かプレゼントすると、
「そんなことしなくていいのに。余計なお金を使わなくていいのに」
っていう顔する。
今回もそういう感じのリアクションだったので、僕が
「まぁいいじゃない母の日なんだから。じゃあ、カーネーションは玄関にでも置いておこうか?」
と言うと、
「あー、そうね。いや、やっぱりそこのテーブルの上に置いておいて」
と、自分がいつもテレビを見ている部屋のテーブルの上に置くように言い、
「少しはお花を見てないとね」
と、別にしなくてもいい言い訳めいたことを言ってた。
それから数時間たって、母がトイレから出ていつもテレビを見ている部屋に戻ろうとしたときに
「♪カ~ネ~ショ~~~ン♪」
と、鼻歌交じりに歌いながら部屋に戻っていたのをたまたま遠目から見つけ、
「あー、ちょっとは嬉しかったのかな?」
と思ったりもした。