がん再発後の経過観察でCT検査を受けるが、結果は無情なものだった
経過観察でCT検査を受けるが、結果は無情なものだった
この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2019年の6月下旬に書いたメモをまとめています。経過観察でのCT検査の結果に激しく落胆しました。
- 経過観察でCT検査を受けるが、結果は無情なものだった
- 経過観察のCT検査を受けに病院へ
- CT検査の結果は無情なものだった
- 涙をこらえながら母にCTの検査結果を告げる
- がんで亡くなった叔父のことを思い出す
- 今回のCTの検査結果を受けて
経過観察のCT検査を受けに病院へ
朝起きてみての体調は良く、特になにか問題を感じるでもない。
今日は経過観察のCTの検査でいつもの総合病院に行くことになっているが、前回の抗がん剤の投薬で入院した時に担当医のアマキ先生から言われた、
「そろそろがんは増大傾向になるかと思われます」
という言葉が頭の中でぐるぐる回っていて正直不安だ。
がん奏効率の4つの区分
前回のCT検査(2019年3月)の結果はSDで変化なしだった。
SDとは奏効率のひとつで、抗がん剤などの薬物療法の効果を示す割合のこと。
4つに区分されていて
- CR :Complete Response、腫瘍が完全に消失した状態
- PR : Partial Response、腫瘍の大きさの和が30%以上減少した状態
- SD : Stable Disease 、腫瘍の大きさが変化しない状態
- PD : Progressive Disease、腫瘍の大きさの和が20%以上増加かつ絶対値でも5mm以上増加した状態、あるいは新病変が出現した状態
と、分けられていてCT検査などの画像診断での一般的な基準とされている。
今回もSD(変化なし)ならばとりあえずはいい。
望むべくはPR(縮小)なのだが、担当医のアマキ先生の口ぶりだとアバスチン抗がん剤も9クール目に入ったので、そろそろPD(増大)になる傾向にあると言う。
統計的にはそういった傾向にあるのだろうが、今のところ僕自身の体調に何か問題を感じるようなところはない。
「もしかして大丈夫なんじゃないかな?」
と、思う反面、
「もし増大していたらどうしよう…」
と、そんな不安に押しつぶされそうになる。
僕はがんの再発が確認されてから、これまで糖質制限をはじめ生活習慣の改善を頑張ってきた。
どうかその努力が実ってほしい。
CT検査の結果は無情なものだった
今CTが終わり、検査結果を踏まえた担当医のアマキ先生との問診も終わって待合ロビーで会計を待っている。
CT検査の結果から言うとPD(増大)。
軽度だが増大傾向にあるという検査結果だった。
がんが大きくなっていたのだ。
加えて今回の血液検査で腫瘍マーカーもCEAという数値が5.9と異常値を示した。(正常値0-5)
結果としてはアマキ先生の見立て通りになり、かなりネガティブな結果になってしまった。
先生が言うには
「前回のCT検査の時くらいが、アバスチン抗がん剤の奏功のピークだったのかもしれません」
とのことだった。
前回のCT検査のときはアバスチン抗がん剤は5クール目くらいだったと思う。
それから効き目が無くなってきていたのか…
今後の治療方針は
担当医のアマキ先生と今後のことを相談して、アバスチン抗がん剤は現時点では効果がないとの評価になり、前回の9クール目の投薬で終了することになった。
そして次回からは、またベクティビックス抗がん剤( FOLFOX療法)をやってみてはどうかということになった。
ベクティビックス抗がん剤は2016年に大腸癌の手術を受けたあと、12クールやった経緯がある。
12クールが終了した時点でのPET-CT検査ではがんの痕跡は見当たらなかったが、2年後にがんの再発が見つかった。
僕としては「ベクティビックスでは癌を消失させることはできなかった」という考えだった。
しかし先生が言うには
「効かなかったから再発したととるのか、効いたから2年間は再発しなかったととるのかのどちらかだと思います。少なくともポジティブなとらえ方をするなら、2年間は薬で癌を押さえ込んでいた。というとらえ方もできると思います」
ということでもう一度、ベクティビックス抗がん剤をしてみてはどうか?ということだった。
ベクティビックス抗がん剤はアバスチン抗がん剤とはちがうつらさがあった
正直、ベクティビックスをもう一度することはかなり抵抗がある。
アバスチンの場合、休薬期間中にある程度は体調を回復することができたが、ベクティビックスの場合、抗がん剤の副作用からの回復が遅く、いつも倦怠感に悩まされていた覚えがある。加えて味覚や嗅覚にもの変化が出てきて食事も思うようにできなくなっていた。
なにより「効きそうな薬がひとつなくなった」ということもショックが大きい。
先生のくちぶりだと抗がん剤は死期をいかに引き延ばすか、時間稼ぎにしかならないらしい。
大腸がんガイドラインで推奨されている薬もあとひとつかふたつくらいみたいだ。
それらを使い切れば終わり。
打つ手なし。
ということなのだろうか。
なんだか匙(さじ)をなげられたように感じた。
ああ、なんてことだ。
死に向かっていくしかないのか。
つらい。
かなしい。
こわい。
頭も重く感じ、息遣いも荒くなっている。
いやだ死にたくない。
もっと生きたい。
救いはないのか。
そして1週間後にベクティビックス抗がん剤の投薬で入院する予定を立てて、今回の問診は終わった。
涙をこらえながら母にCTの検査結果を告げる
失意のなか病院から戻り、母に検査結果について告げる。
がんが大きくなっていたと。
結果を聞いた母は「大丈夫大丈夫、一緒に頑張ろう」と励ましてくれたが、僕は今にも涙がこぼれそうになっていた。
母に申し訳ない。
ただその想いで胸がいっぱいになる。
「お母さん、先立つ不幸お許しください」実に聞き慣れたフレーズだけど、今の僕にとっては、この使い古され色褪せたフレーズが現実味を帯びてきている。
母に何一つ親孝行らしい事ができなくて申し訳ない。
自業自得だが結婚もせず、子供もつくらず孫の顔も見せてやることもできない。
母だけじゃない、弟と妹にも申し訳ない。
兄貴らしいことは全くと言っていいくらいしてやれなかった。
情けない兄貴ですまない。
たよりない兄貴ですまない。
こんな自分が情けなく、みんなに申し訳なくすまない気持ちでいっぱいになる。
涙を精いっぱいこらえながら、思わず母に「こんな息子でごめんね」と謝ってしまった。
母は
「何言ってんの!これからこれから。大丈夫だから!あんたは私のことを看取ってから死なないといけないんだからね!」
と少し涙まじりに励ましてくれた。
僕はこぼれ落ちそうな涙をこらえるのに精一杯だった。
続けて母は
「落ち込むのはしょうがないけど、何とか前向きに考えてみないとね」
と言う。
だが抗がん剤が効かなくなって、使える薬も減っていくこの状況で、何を前向きに考えると言うのか?どうすれば前向きになれるのか?そんな言葉が思わず口を出そうになったが飲み込んだ。
がんで亡くなった叔父のことを思い出す
こんな時、一昨年末期ガンで亡くなったタカおじさんのことを思い出す。
タカおじさんは母の弟で、ひとり暮らしのアパートで自力で立てなくなるくらいぎりぎりまで病院に行くこともせず、もうどうしようもなくなってから母の携帯に連絡してきた。
救急車で病院に運ばれたときは既に手遅れで、それから数週間後に亡くなった。
タカおじさんは怖くなかったのだろうか?
母が連絡を受け、僕と母でタカおじさんのアパートに行ったときは自力で立てないほど衰弱していた。
こんな状態になるまで医者には行かなかったとはいえ、症状から自分の身体が癌に侵されているということはうすうす感じていただろうに。
タカおじさんの万年床の周りにはおそらく喀血があったのだろう、血が付いたティッシュが散らばっていた。
奥さんとも離婚して、60代でたった1人のアパートで誰にも相談できず、孤独と痛みに耐えながら迫りくるであろう自らの死に怯えていたのか。
その寂しさは、その痛みは恐怖はどれほどのものだったのだろうか。
どんな気持ちで夜を超えていたのか。
どんどん行き詰っていく自分の人生に絶望することはなかったのだろうか?
今の僕ならタカおじさんの気持ちが少しは分かる。
その絶望の味がどういうものなのか、少しは感じることができる。
つらすぎるし、かわいそうすぎる。
そんなタカおじさんのことを思うとまた涙が出そうになる。
臆病者だと思っていた
当時の僕は自力で立てなくなるほど衰弱してるのに誰にも相談せず、医者にも行かなかったタカおじさんのことを臆病者だと思っていた。
自分の病気から目を背け、逃げ続けていたんだ。と思っていた。
でも今思うとそれは「勇気ある沈黙」だったのかもしれない。
誰にも迷惑かけまいと、死を覚悟して迫りくる死の恐怖と孤独と痛みに耐えていたのかもしれない。
そう考えるとタカおじさんが不憫でたまらない。
また涙が出そうになった。
そして僕はタカおじさんが無くなる直前のことを今でも覚えている。病院のベッドの上で、意識も無く酸素マスクや様々な管につながれてときおり痙攣するその姿を。
僕にとってそれは未来の自分を見ているようで、とても恐ろしいものだった。
今回のCTの検査結果を受けて
これまで苦しい抗がん剤治療を続け、がんがブドウ糖を主なエネルギー源とするという理由から、糖質を控えた食生活の改善などいろいろと努力してきたが、それらも虚しくPD(増大)という結果になってしまった。
くやしい。
とてもくやしいし残念な気持ちでいっぱいになっている。
これまでの努力よりも癌の病勢のほうが上回っているということが、僕を激しく落ち込ませた。
しかしこのような結果になったとしても自分がしてきたことが無駄だったとは思いたくはない。
ポジティブなとらえ方をするならば、もしこれまでの努力をしてなかったらがんはもっと増大していたかもしれないし、新たな転移も見つかっていたかもしれない。
だからまだまだ努力は続けていこうと思う。
決してめげない。あきらめない。くじけない。
まだできることはあるはずだ。