44歳の僕がステージ4の大腸がんと診断されて

2016年大腸がん発覚。手術後、腹膜への転移が確認されステージⅣだと告知される。その後半年間に及ぶベクティビックス抗がん剤治療を受ける。2018年12月がん再発。アバスチン抗がん剤治療を受ける。48歳になりました。

ステージⅣの大腸がんと診断されて3年以上たち、48歳になった

ステージⅣの大腸がんと診断されて3年以上たち、48歳の誕生日を迎えることができた

この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2019年の7月上旬に書いたメモをまとめています。2016年の6月、44歳のときにステージⅣの大腸がんと告知されたときは「もう長くは生きられない」と思ったものですが、48歳の誕生日を迎えることができした。

大腸がんと診断されて3年以上が経過した

2019年7月。今日で48歳になった。

振り返れば44歳の時、2016年の5月に大腸のS状結腸部分に癌が見つかり、6月に行った外科手術で病巣は全部摘出したが、お腹を開けた時点で腹膜への転移が確認されてステージⅣの大腸がんと診断される。

手術後はベクティビックス抗がん剤+(FOLFOX4療法)を12クール(約半年)行い、その後のPET-CT検査で癌の痕跡は見られなかったのでいったん治療は終了した。

だが、2年後の2018年の12月に経過観察のCT検査でがんの再発が確認され、アバスチン抗がん剤+(FOLFIRI療法)を9クール行うも、2019年6月のCT検査でがんが増大傾向にあるという結果になり、アバスチン抗がん剤の投薬は中止されることになって今にいたる。

44歳でがんと診断されてからまるっと3年以上は生きたことになる。

大腸がんの進行度ステージ4の場合だと余命は半年くらいだといわれていたので、良く生きたほうなのだろうか。

大腸がんと診断されて以降、つらかったこととは?

これまで何がつらかったか?と問われれば、やはり抗がん剤治療にともなう副作用はつらかった。

これまで2種類の抗がん剤治療を合計21クールやったけど、それぞれに違ったつらさがあった。

最初に行ったベクティビックス抗がん剤+(FOLFOX4療法)の副作用は身体が重く感じる倦怠感がつらく、身体の中心や各臓器に鉛の重りがつるされているようだった。

味覚や嗅覚も変になり、食べ物の味は一部を除いて感じなくなり、お米を炊いたときの匂いで吐きそうになったりした。そして肌荒れや指先のひび割れなど肌トラブルもひどかった。常に「薬に焼かれている」という感覚が身体中にまとわりついていた。

次に行ったアバスチン抗がん剤+(FOLFIRI療法)の副作用はひどい吐き気と下痢に悩まされた。アバスチン抗がん剤の投薬1日目からベクティビックス抗がん剤の8クール目くらいのつらさがあったので早々に治療を断念しようかと思ったほどだったが、つらさのピークは投薬開始から5日目くらいまででそのあとは持ち直すことが多かったし、味覚嗅覚にも変化はなかったのでその点は楽だった。

「がん=死」というイメージ

そして自らの生と死を見つめ続けた日々でもあった。

僕はがんと診断されるまでは「死というものは自分とは無関係だ」という錯覚というか幻想のなかで生きていた。「人は遅かれ早かれかならず死を迎えるもの」ということは頭では理解しつつも、その現象は自分にとってはもっともっと先の遠い未来に起こるものだと思っていた。

だが、がんと診断されて自らに訪れる「死という現象」が突然目の前に現れたような気がした。これまでは地平線のかなた遠く、目を凝らさなければ見えなかった「死」というものが、突然手を伸ばせば触れられるほどの距離に現れたような気がした。

このことは僕をおおいに混乱させ、日々その恐怖に焼かれ、怯え続けた。

しかし、その恐怖にも波があって、月の満ち欠けや潮の満ち引きのように、ひどく落ち込んだりするときもあれば、気分が持ち直すときもあるということも分かった。なので気持ちが落ち込んでつらいときは「今は気持ちの波としては下落しているが、一晩眠れば少しは持ち直すだろう」という風に考えるようにしている。実際に恐怖や悲しみの感情が心の中心にずっとい続けることも、またむずかしいことだと思う。

癌患者になって気づいたこと

がんと診断されてからというもの、このようにつらいことも多かったが、そのおかげで気づかされたこともたくさんあった。

日々一日一日を大切に生きようと思った。

他の人に腹をたてることなく、過度に期待することもせず、人のありのままを受け入れようと思った。

潤いを知るためには渇きを知らなければならない。喜びを感じるためには苦しみを知る必要があることを知った。

父や母、兄弟、友人その他すべての人に感謝することを学んだ。

あたりまえに過ごせている日常こそが奇跡的にすばらしいものであるということを知った。

その他にもいろいろなことを「癌という病」は僕に気づかせてくれた。これまでの人生をこれまで通りに生きていれば気づくことは難しいことばかりだった。

がんは僕にとって青天の霹靂であり、人生を根本から変える劇薬でもあった。

これからどれくらい生きられるのかは分からないけど

48歳になったからといって特に嬉しいということはないが、ひとつの節目を迎えられたと思っている。(それよりも令和になった瞬間のほうが嬉しかった)

そして今の現状としては決して安心できる状況でもない。癌が再発してから9クール続けていたアバスチン抗がん剤治療も効果が見られないということで打ち切られることになった。

この先使える薬が減っていき、僕の体内のがんが増大し続けていけば、やがてこの命は尽きていくだろう。

 「来年の今頃も、元気でいられるだろうか?」

44歳でがんと診断されてから、僕はこの問いかけをいつも自分自身にしてきた。

47歳になったときもした。

とりあえず48歳になった今は抗がん剤の副作用のつらさは残るものの、元気で生きている。

まだ自分の足で立って歩けるし、普通に呼吸もできるし、ご飯も普通に食べれて普通に排便もできている。

普通でいられるということが、とてもありがたいことだと日々感じている。

「来年の今頃も、元気でいられるだろうか?」

この問いかけは誰にでも当てはまることだ。がんと診断されていなくても他の病気だったり突然の事故でふいに亡くなる人はたくさんいる。

「昨日まであんなに元気だったのに…」そう思われながらある日突然この世を去る人はたくさんいる。

そんな人たちは「死の直前まで自らの死に怯えなくていい」という点では幸運だったのかもしれないし、自らの死を見据えたうえで深く人生を考える機会を得ることができなかったとも言えるのかもしれない。どちらが正しいということもないと思う。

誰にだって「死」はその傍らにある。

それがいつ現れるかどうかは誰にも分からない。

分からないからこそ、今を精いっぱい生きていくべきではないかと思う。

来年の今頃も元気でいるためにも。

 

【48歳。もうアラフィフ】f:id:yo_kmr:20190806112337j:plain