44歳の僕がステージ4の大腸がんと診断されて

2016年大腸がん発覚。手術後、腹膜への転移が確認されステージⅣだと告知される。その後半年間に及ぶベクティビックス抗がん剤治療を受ける。2018年12月がん再発。アバスチン抗がん剤治療を受ける。48歳になりました。

自ら命を絶った友の通夜葬儀に行ってきたこと

突然の訃報。自ら命を絶った友の通夜葬儀に行ってきたこと

この記事ではヨシノ (id:yo_kmr)が2019年の6月上旬に書いたメモをまとめています。高校のときの仲の良かった同級生の突然の訃報にひどく混乱しました。

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仲が良かった高校の同級生、キシダ(仮名)の突然の訃報

2019年6月。

今日、キシダ(仮名)の通夜に行ってきた。享年47歳だった。

キシダは高校のときのクラスメートで、少しだけバレー部でもいっしょに活動していた仲の良かった友達だ。高校生のころのキシダはいわゆるヤンキーというヤツで、それなりに突っ張った格好をしていたものの、性格はやさしくいたずら好きのやんちゃものでいつも無邪気な笑顔を絶やさないヤツだった。

僕は社会人になってからは地元を離れて関東の方に就職したので、高校を卒業してからは地元の同級生たちとは疎遠になっていたけど、近年同窓生で集まろうという動きがあり、僕の癌が再発する以前はみんなで集まって、たまに食事をしたりしていた。

キシダには僕の病状についてはだいたい説明していたので、僕のがんが再発してからは心配して何度か電話をかけてきてくれた。

「体調はどう?だいじょうぶか?何かあったらぜったい言ってよ!」

と、僕を何度も励ましてくれた大切な友人だ。

キシダは同級生のなかでは比較的早婚で、最近では娘さんに子供が生まれて早くも「おじいちゃん」なっていた。

「やっぱり孫はかわいいわ」と、以前会ったときには嬉しそうに携帯でお孫さんの写真を見せてくれたことは記憶に新しい。

www.44cancer.com

死因を言いたがらない同級生

訃報を受けたのは昼頃、自然公園をウォーキング中に中学時代の同級生から携帯に連絡があった。

「あのさ、急だけどキシダが昨日亡くなった」

「え?ごめんちょっとよく分からない」

一瞬頭によぎったのは交通事故。キシダは長距離トラックの運転手をしていたからだ。

「あの…それで死因はなんなの?」

電話口で死因を聞いたが、

「ちょっと電話では言いにくい…」

と、はっきりとは言いたがらず終始にごしていた。

だが、話をしていくうちに

「俺も詳しくは知らないけど、借金があったみたいで…」とか、

「以前事故を起こして…」とか、

「最近離婚して…」とか、

そういうワードが出ていたので、多分自殺ではないか?とその時は思った。

しかしキシダにいたってはそのようなことをする性格ではない。どちらかというと正反対のタイプだと思っていたのでまさかとは思っていた。

そして今日の夕方から通夜が行われると教えてくれたので、その通夜式には参加すると言って電話を切った。

電話を切ったあと、日中の公園内であったが叫びたくてたまらなくなり、人目もはばからず声にならない声をあげた。

くやしくて悲しくて声にならない叫びをあげる

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くそおおお!

ふざけるなよ!

なんでだよ!

どんだけ苦しかった知らないけど、普通に息ができて飯が食えてクソができればそれだけで幸せだろうがよ!

こっちは無くなりそうな命を必死になって拾おうとしてるんだよ!

毎回死ぬほどつらい抗がん剤をやってなんとか生きてんだよ!

あの薬に焼かれる苦しさ、喉の奥から突きあがってくる吐き気、頭をしめつけ重くのしかかる倦怠感、永遠にトイレから出れないんじゃないかと思う下痢。迫りくる死の恐怖。

「代わってくれ」と言われれば喜んで代わってやったわ!

こないだ会ったとき、40代で早々に孫ができて、その孫が「かわいくてたまらない」って言ってたじゃないか!

子供や孫たちの笑顔が見れればそれだけで幸せだろうが!

あああああああ悔しい、くそお!

腹が立つ!

友達だと思ってたのに!

何もできなかった!

何の手助けも出来なかった!

その気持ちに寄り添うことができなかった!

見過ごしてた、その予兆を感じることすらできなかった!

クソクソくそくそくそくおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!

 

そのときの僕はとても混乱して取り乱してた。

悔しくて、腹立たしくて、

悲しくて悲しくてたまらなくて、わけが分からなくなっていた。

通夜式に行ってまた悲しみが増す

通夜式の会場は市内の斎場で行われるとのことで、通夜式開始10分前くらいにその斎場に着いた。

僕はてっきり大きなホールで行われるものだと予想して行ったが、実際に案内されたのはホールとは別棟にある15畳ほどの小さな部屋。

普通のアパートの一室みたいで、斎場というよりも「普段は社員寮として使われているんじゃないか?」と思うくらい狭くて何の飾りっ気もない部屋だった。そして棺の後ろにある遺影の置かれた祭壇も簡易で質素なものだった。

その光景を見ただけで、キシダの生前の困窮ぶりがなんとなく想像できた。

急な出来事だったということもあり、参列者も20人ほどで定刻通り通夜式が始まった。

式は粛々と進み、お坊さんの読経のあと焼香に入る。

焼香を待っている間、いろんな想いが頭をよぎって涙が止まらない。

いい大人がみっともない。恥ずかしくて涙をぬぐうこともできない。きっと涙をぬぐえば僕が泣いているということがばれてしまう。

でもそんな顔で遺族の前に行くわけにもいかないので、なるべくすばやく涙をぬぐって棺の前へ行き、焼香をする。

去り際に棺桶に近づいて窓からキシダの死に顔を見る。

その顔は決して「安らかなもの」とはいえなかった。

また悔しさがこみ上げる。

悲しみが深く突き刺さる。

たまらない気持ちになってその場を後にした。

僕に何かできたのか?

通夜式が終わり、外で中学時代の同級生に話を聞く。

死因はやはり自殺で、自宅で自ら首を吊ったようだった。

聞いたところによると、借金苦でアルコール依存症気味になり、トラックドライバーとして仕事も出来なくなっていたみたいだ。アルコール依存症になると「うつ」になりやすく、それに伴って「自殺念慮(死にたい気持ち)」も出ることがあるというので、それらが原因ではないか?ということだった。

実は今から2ヵ月くらい前にキシダから僕の携帯に電話があった。

そのとき僕はちょうど抗がん剤の投薬で入院してた時で、副作用の吐き気や倦怠感でフラフラだったため、話もそこそこに「また今度話そう」と言って電話を切った。

それがキシダの声を聞いた最後だった。

自分が彼に何かできるか、何かできていたかなんてうぬぼれるつもりはない。

彼の行動は彼の選択は僕がどうこう言うことでもない。

僕は人ひとりの人生が、その幕引きをどうしようと、否定も肯定もするつもりもない。

でも、湧き上がってくる感情はとてもじゃないけど、理性的には整理がつかない。

くやしいくやしいくやしい。

かなしいかなしいかなしい。

あまりにもくやしくてかなしくて、頭が痛くなる。

ああ、つらいよ。

僕はこの世界で癌患者である自分だけが不幸なんだという大きな勘違いをしていた。

「癌患者ではないみんな」がうらやましくてしかたなかった。

でも、みんなそれなりに悩みを抱えていて、日々苦しんでいるんだ。

こんなことも分からないなんて情けない。自分が情けない。

自分は分別のつく大人だと思っていたが、それも大きな勘違いだった。僕は友の気持ちをおもんばかることもできず、ほんのちょっとの配慮も気配りもできずに、自分のことばかり考えているただのわがままなはなたれ小僧だ。

くやしくて悲しくて情けない。そんな想いが僕の頭の中で大きな蛇のようにとぐろをまいて、頭の芯を締めつけ続けた。

キシダの葬儀告別式に行く

2019年6月。 

今日は昨日の通夜式に引き続き、キシダの葬儀告別式に行ってきた。

予想はしていたが、参列者は通夜式のときよりも減っていて寂しいものだった。いわゆる親族及び近親者のみ参列といった感じだった。

お坊さんの読経が終わってから、いよいよ故人との最後の別れになる。

遺族が棺の周りに集まって、棺の中に故人が生前好きだったものや、手紙、切り花が手向けられる。

僕は一番最後に故人の足元にそっと小さな花を置かせてもらった。

棺に近づいたが、もうキシダの顔を見ることはできない。あの死に顔をまた見ることは僕にとってあまりにもつらいことだった。

そして一歩離れたところで最後のお別れを見守ることにした。

棺のまわりを遺族が取り囲む。

キシダの娘さんが棺に覆いかぶさるようにして大粒の涙を流して泣いている。

皆が深い悲しみにつつまれている。

お孫さんのひとりが「じいじ、ばいばーい」と明るく言う。きっとおじいちゃんはまた帰ってくるものだと思ってるんだろうな。

そのお孫さんの無邪気な明るさに触れ、たまらない悲しみがまたこみ上げてくる。

そんななか僕はキシダと高校時代に一緒に過ごした時間を思い出していた。

バレーボール部でいっしょに活動していたこと。

登下校の電車内での会話。

教室の中でふざけ合って遊んでいたこと。

体育祭や文化祭などの行事のときの思い出。

いたずら好きで明るく、やんちゃな笑顔で僕を呼ぶ声。

あのときからこんなことになる運命だったのか。

こうなるために生きてきたのか。

くやしい。ただくやしくて悲しい。

がまんしていた涙がまたこぼれた。

最後の別れ

そして棺のふたが閉められる。

ここから本当のお別れになる。

棺のふたはもう開くことは無い。

キシダと僕らのいる現世とが切り離された瞬間でもあった。

たまらない。

僕は遺族より一歩離れた場所で見守ろうと思っていたが出棺のときの男手が足りないようなので手伝った。

そして棺は霊柩車に乗せられ火葬場へと向かう。

これで最後。

本当にお別れだ。

霊柩車が出発する直前、キシダの弟さんが僕のそばまできて礼を言う。

弟さんにはただ悔しくて残念です。とだけ伝えておいた。

キシダを乗せた霊柩車はクラクションを鳴らした後、ゆっくりと動き出した。続いて遺族を乗せた車が追いかけるように出発していった。

僕はそのタイヤの影が見えなくなるまでその場に立ち続けた。

このどうしようもない悲しみに少しでも寄り添うことができるなら

今日ここに来たのはキシダのためではない。残されたご遺族のために来ている。

このどうしようもない悲しみに少しでも寄り添うことができたらと思っている。

かける言葉もいらない。ただそこに立って見守るだけでいいと思っている。

亡くなったその人のことを大切に思っている人間がここにひとりでもいます。という態度だけでいい。

僕は自分の大切な父が無くなったとき、通夜葬儀に来ていただいた多くの参列者の方々にそのことを教えられた。

大切な大切な命だったんだ。

その尊厳は最後まで守られるべきだと、その場所に立つだけで伝わるはずだし、たとえ伝わらなかったとしても構わない。

これは僕の選択であり、生き方であり、ありかたでもあるのだかから。

義理を果たすために来たのではない。

ただここにいたいと思った。最後まで見守りたいと思ったから来ただけなんだ。

大切な大切な友の最後を。